がSubだと判明してからはや六年。多くのSubがパートナーを持つが、にはパートナーが居ない。パートナーの居るSubはパートナー以外のDomの影響を受けにくいし、パートナーが居ることで定期的に欲求が満たされる安心感もある。Domから命令を受けなければ、欲求が満たされない状態が続き、体調不良を起こす。
ではこの六年間如何やって欲求を満たしていたかと云えば、「そういう店」を使っていた。Subはその性質からか、社会的立場が低い。だからSubだと隠す人間も多く居る。Subを対象とした、Subの為の店には、のようにパートナーの居ない人間やそういう人間がよく訪れる。店のDomならば此方が金を出す以上、要望に応えてくれる。何よりの通っている店は高級なだけあってDomたちの教育がしっかりしていた。は以前、繁華街の安い店に入ったことがあったが、此方がSubなのを良いことに好き勝手する店員に当たってしまい、気分が悪くなってからというもの、繁華街には二度と入るまいと誓ったのだ。は高級な店のそれに安堵し、最初は恐る恐るだったが、次第に通う回数が増え、今では三日に一度通うほどになっていた。
今日も仕事帰りに疲れを癒すべく足を運んだのだが、いつも指名する店員が他の客の相手をしていた。店のオーナーの謝罪に気にすることは無いと伝えたものの、どうしようかと思案する。ここ最近忙しかった故に非常に疲れていて、このままにしておくと体調不良が起きる。
「あの、代わりとは云っては何ですが、本日から入った者が居まして」
オーナーが「此方です。名は太宰と云います」と写真を見せる。本来ならオーナー自ら提案することは滅多に無い。客の判断に任せるのが基本だった。オーナーが提案をしたのはが上客だから、と云うのもあったし、もうひとつ「本日から入った者」、太宰が所属する組織に依頼をしたから、と云うのもあった。因みに太宰が選ばれたのは探偵社で唯一Domだからだ。今日は平日の真ん中であまり客足が良くない。店を切り盛りするオーナーとしては「此の店で薬物売買が行われている」という噂を耳にし、確かな情報を掴み、不安な芽は早々に摘んでおきたいと考えた結果だった。オーナーはDomにもSubにも属さないノーマルな人間だが、Subと云うだけで虐げられる人間をたくさん見てきた。それを如何にかしたい、とこの店を始めたのだ。
「絶世の美男子ですよ。性格も温厚で、褒めるのが好きなDomです」
絶世の美男子、はその言葉を頭の中で繰り返し、成る程確かにと思う。そして何より「褒めるのが好き」と云う言葉に、心を奪われる。それは太宰が潜入するための「設定」ではあったが、そんなこと勿論は知らない。は「構われたい」傾向が強いが、同じくらい「褒められたい」傾向も強かった。何度も此処に足を運ぶのそういう傾向を、勿論オーナーもわかっていて提案した。数分悩んだ末には「お願いします」と口にした。
貰ったカードキーに書かれているものと同じ番号の部屋へ入れば、ソファに腰掛けた男が此方を向いた。写真よりずっと美丈夫だな、とは思いながら、男の座るソファへと近づいた。
「こんばんは。私は太宰、太宰治と云います」
「こんばんは、太宰さん」
「貴女のことはオーナーから聞いています。何て呼ばれたい?」
「好きなように」
「じゃあ、ちゃんで」
「はい」
「先にセーフワードを決めましょうか」
「あの」
「はい?」
「敬語は、止めてください」
「わかった。これでいいかい?」
は「はい」と返事をして、云われた通りセーフワードを決めた。セーフワードはDomの行為が行き過ぎないようにする為のもので、Subが限界を感じたら口にする。セーフワードを口にされたら、Domはどのような行為でも中止しなければならない。は、最初にそれを決めるよう提案してきた太宰を、この店に入れるだけあるな、と考え少しだけ警戒を解いた。この店を信用していない訳では無いが、矢張り初対面と云うのは警戒してしまうものなのだ。
「それじゃあ始めよう。先ずは何をして欲しい?“教えて”」
Domの気を強くして発されたその言葉はにとって命令であり、命令を受けたは脳がとけていく感覚がした。
「ん、頭、撫でて欲しい」
「きちんと云えていい子だね。いいよ、撫でてあげるから、“お座りして”」
は床に座り込んで、太宰を見上げる。
「いい子。良く出来ました」
するり、と頭を撫でる手が気持ち良くて目を閉じる。警戒は無意識のうちに解けていた。「他には?」ふわふわとする意識の中に、優しい声が響く。は「抱っこ」と一言。太宰はそれに「じゃあお膝に”おいで”」と自分の膝をぽんぽんと叩く。ゆっくりと立ち上がったは命令通りに動く。太宰はを抱えて「いい子」と褒める。そうやって簡単な命令とご褒美を数回繰り返したところで、は今まで感じたことの無い感覚に襲われていた。いつもより、気持ちが良い。
「ちゃん、他にして欲しいことは?“云ってご覧”」
はとろけた瞳で太宰を見つめる。いつもなら、して欲しいことを容易く言葉に出来るのに、今日は何だか上手くいかない。「たくさん、命令されて、たくさん、褒められたい」と気が付いたら口にしていた。いつもよりふわふわして頭が回らない、そんなの様子に気が付いた太宰は「ちゃん、Subspaceに入ってる?」と訊くもは「さぶすぺーす?」と鸚鵡返しにするだけだった。
Subspace、それは命令とご褒美を繰り返し、SubがDomのコントロール下に入ると多幸感に包まれて、脳内がお花畑状態になることだ。が知らないのも無理は無かった。は今の今迄、Subspaceに入ったことが無いのだ。抑々Subspaceに入るのだって、Domとの信頼関係があってこそで、故に太宰は真逆がSubspaceに入るとは思っていなかった。はSubの中でも「扱い難い」Subだ。いつもが此処で指名する店員のDomも何度かSubspaceに連れて行こうとしたが結局成功した試しは無い。は命令はされたいが強すぎる命令を受ければSubDropと呼ばれるパニック状態になることも多々あったし、お仕置きだって好んでいない。かと云って「ご褒美」だけでも満たされない。加減が難しいのだ。そんなをSubspaceに入らせることが出来たのは、太宰の力量に拠るものだった。
「いつもより、気持ちが良いでしょう?」
「うん」
いつの間にか敬語が外れて子供のように舌足らずに返事をするに、太宰はこれならいけると、此処に店員として潜入した目的を果たすべく口を開いた。
「ねぇ、ちゃん」
「うん?」
「このお店で、変なお薬を貰ったことはある?」
「“教えて”」と命令されて、は思考を巡らせる。へんなおくすり、と云う言葉に今までの此処での出来事をふわふわする頭で何とか考えるが、思い当たることは無かった。
「ううん、ない」
「そう、そっか。きちんと答えられていい子だね」
「ん、」
耳を擽られて、その気持ち良さには自ら太宰の手に擦り寄った。仕事の為とは云え、太宰も太宰でDomとしての欲求がひどく満たされていて気持ちが良かった。オーナーから「上客だけれど扱い難い」と聞いたときはどんな女が来るのかと思ったが、存外可愛らしい。そして何より、そんな扱い難いを、Subspaceまで初めて連れて行けたのが自分だということに優越感があった。はぼんやりする頭で「この人は、相性が良いのかも」と考えていたが、それは太宰も同じだった。その外見のおかげで女には困らないし、Domとしての欲求も基本的には満たされている太宰だけれど、今迄のどんなSubを相手にしたときより気持ちが良いのだ。
「あ」
が何かを思い出したかのように口を開いた。太宰は「どうしたの?」と優しく頬を撫でる。
「ん、あの、一昨日、たぶん、店員がおんなの人、に何かわたしているのは、みた」
「それは何処で?」
「おみせの、そと」
この店は外で店員と客が会うのは禁じている。会うのも別れるのも部屋の中のみと決められているのだ。仮令店の扉の目の前だとしても。それはSubのプライバシーを守る為だ。一見「Subの為の店」とは判らないが、判る者が見れば判る。は勿論「判る者」だ。一昨日は前を通りすがっただけだが、店の中で見たことのある男が女と話しているのを見て、不思議に思ったのだ。
「思い出せて偉いね、いい子だ」
「ん……」
「何か、が何だったかは、判る?」
「遠目、だったから、そこまでは……でも、小さい袋に、入ってた、かな」
「そっか。教えてくれてありがとう」
「ご褒美だよ」と頬を撫でていた手が、唇を滑り、そのまま口内へ入ってくる。太宰の指が、の舌を嬲り、上顎を擦る。ご褒美だと与えられたそれは、とても気持ちが良くて「ふぁ、んっ」は甘い声を洩らしていた。太宰はそんなを見て、益々満たされていく感じがする。確かな情報では無いが、太宰にとってはその僅かな情報で十分だった。明日にでもその「男」を追い詰めるべく頭の中で算段を立てる。ほんの数秒で算段が立った太宰は、残りの時間は仕事ではなく、純粋にDomとして楽しもうと、すこぅしだけ、指を乱暴に動かした。
「気持ちいい?“教えて”」
の口から指を引き抜いて命令する。は、先刻よりもとろけた顔で「き、もち、い」と答えた。
───ああ、なんて可愛いのだろう。
太宰は笑って「いい子」とを褒める。そうして指をもう一度の唇に持って行き「“舐めて”」と命令する。は従順に命令通りに動き、太宰の指を口に含んだ。太宰はうっそりと「いい子だね」と片方の手での頭を撫でる。もそれに気持ち良さそうに目を閉じた。夜は、未だ明けない。