花の金曜日、賑わう店内で太宰の溜息は隣に座る国木田にしか聞こえなかった。出汁巻き卵を肴に酒を煽りながら、国木田は「何だ、辛気くさい」と口を開いた。
「聞いてくれ給えよ、恋愛相談なのだけれどね」
「注文を取りにきた店員を心中に誘いたいけど如何すればいいのか、という相談なら受け付けんぞ」
「違うよ。そんなこといちいち国木田くんに相談しないよ」
「いつもしているではないか!」
声を荒げた国木田だったが、実のところ気になっていた。あの太宰が結構本気で悩んでいる。女性を誘って断られたことの無いであろうあの太宰が、相手は一体どんな女性なのか、と国木田は内心興味津々なのを悟られまいと平静を保ち乍ら「聞くだけ聞いてやる」と二口目の酒を口にした。
「私がDomなのは知っているだろう」
「あぁ」
「それで、先日依頼があって私が潜入した店、あったでしょ」
「あぁ。真逆、情報提供に協力してくれたと云っていた娘か」
「その真逆だよ。相性が良くてね、とぉってもかわいい子なのだよ」
「それで、何を悩んでいるんだ」
「パートナーになりたいと申し出たのだけど断られちゃって」
はあぁ、とまたも大きな溜息を吐き乍ら太宰。国木田は太宰が自らそういったことを提案したという事実に些か驚いた。一夜限り、ならまだしも、恐らくは先の人生を共に過ごすのであろうパートナーという関係を、太宰自ら提案するなんて、と。同時に顔も知らぬその女性に同情する国木田であった。よりによって太宰に捕まってしまうなんて、と。
「何でも私が仕事をしているのが理由らしくて」
「ほう。では一度その女性を社に連れて来たらどうだ?貴様が如何に仕事をしていないか見て貰え」
「私はいつでも真面目じゃあないか!あぁ、ちゃん、どうして私のお誘いを断ったのだろう」
「どの口が云うか!……?」
「そうだよ、ちゃん。知っているのかい?」
「昔、知り合いに同じ名前が居たが……、その女性は何をしている人なんだ?」
「そういえば、何をしているかは知らないなぁ」
知る必要も無かったし、と太宰の声を聞き乍ら、自身が未だ教師だった頃に聞いたことのある名前だ、と記憶を辿った国木田。同じ名前の人間なんて幾らでも居る、と自分の想像する人間とは違うだろうと結論付けた。しかし数秒後「独歩先生?」と背後からかけられた声に、その結論はひっくり返ることとなる。国木田が振り返り「先生か。久しぶりだな」と云う。その言葉に「ええご無沙汰しております。先生はその後お変わりなく……」と返すその声を聞いた太宰も、随分と聞き慣れた声だと、振り返った。
「ちゃん」
「太宰さん」
二人の声が重なり、国木田は瞬きを繰り返す。太宰の頭の中ではカチカチとパズルのピースが嵌っていった。
「国木田くんの知り合いって、ちゃんだったの」
「お前の悩みの種は先生だったのか」
「えっと、お二人はお知り合い……なんですね?」
***
「ほう、では今は塾を経営しているのか」
「はい。細々とですけど」
「もしかして、駅近くの花屋のあるビルの隣か?」
「ええ。よくご存知で」
「良い講師がいると耳にしてな。そうか、先生だったか」
「そんな、独歩先生に比べたらまだまだ未熟者です」
「そんなことは無い。生徒のことを第一に考える先生は立派だ。それに俺はもう教師では無いからな」
太宰の勧めで二人の間に腰掛けたは、国木田と昔話に花を咲かせていた。国木田とは以前同じ学校で働いていて、今は其々違う道を進んでいるが、懐かしさに話が止まらない。そんな二人を面白くなさそうに見詰める男、太宰はを間に座らせたのは失敗だったと心中で悔いた。
「ちゃぁん」
「はい。あ、すみません。独歩先生にお会いしたの久し振りでつい話し込んでしまって……」
「いや、構わないよ。でもちゃんと国木田くんが知り合いだったのは驚いたな」
「独歩先生とは以前同じ学校で働いていて、大変お世話になったんです」
「国木田くんは面倒見が良いからねぇ」
「はい。とても。生徒たちからも慕われていました」
「へぇ、国木田くんが。社では私に怒ってばかりなのだよ」
ええん、と泣き真似をする太宰。国木田は「それはお前が真面目に働かないからだろう」と云い乍ら、そういえば、と先程の太宰との会話を思い出す。
「先生、此奴とパートナーになる気は無いと聞いたが」
「え、独歩先生、私と太宰さんのことご存知だったんですね」
「ちゃん、違うのだよ。話の流れというか何というか、ちゃんのプライバシーに関わることは喋っていないから安心し給え」
「いえ、口止めしていた訳では無いですし、大丈夫ですよ。私もお二人が同僚というのには驚きましたが」
「先生、悪いことは云わない。此奴はやめておけ」
「え」
「遅刻はする仕事はしないすぐ自殺に行く、良いところは顔だけだ」
「酷いよぅ国木田くん」
「本当のことだろう」
「太宰さんって、結構不真面目なんですね」
烏龍茶に口を付け乍らは笑う。は、と接しているときの太宰しか知らない。故に国木田から自身が知らない話を聞けるのは、にとって悪い事では無かった。
その後、は国木田と再度昔話に花を咲かせたり、国木田から太宰への苦情を聞いたりと、時計の針が12を越えるまで三人で過ごした。店の外へ出て早々に国木田は「月曜からは遅刻するなよ太宰!」と声を上げた。それを「はいはい、忘れなかったらね」と交わした太宰は「貴様……!」と憤る国木田を無視して、の手を取り歩き出す。足の向く先はいつものホテルだ。
「ちゃん、明日はお休み?」
「はい」
「じゃあ、ホテル、行こうか」
「……はい」
既に足がそちらへ向いていることには言及せず、は素直に太宰に手を引かれて歩いた。赤信号で止まったところで、太宰はに問いかけた。
「ねぇ、ちゃん。どうして私とパートナーにはなれないの?」
は一度太宰を見上げ、すぐに信号に視線を戻した。は、何からどう話そうか考え、少し悩み、信号が青に変わったと同時に話し出す。も、太宰も、足を踏み出さなかった。
「私、パートナーになった人とは一緒に暮らしたいんです」
「うん」
「でも、太宰さんと一緒に暮らしても、お互いお仕事があるし、私が帰った時に必ず太宰さんが居るかは、判らないじゃないですか」
「そうだね」
「だから、パートナーにはなれません」
「私がお仕事を辞めたら、なってくれる?」
へ身体を向けた太宰が、の目を見ながら訊ねる。は初めて見る太宰の顔だ、と思いながら「いいえ」と首を振った。
「だって太宰さん、お仕事辞めないでしょう」
「どうしてそう思うの」
太宰を見上げたは、優しく、穏やかな笑みを浮かべて「独歩先生と話す太宰さん、楽しそうでしたから」と。
点滅し始めた信号を視界の端に映し乍ら、太宰はをパートナーにしたいと、欲が強くなる。人気の無い交差点で、信号は赤に変わった。太宰がを抱き寄せる。
「私は、ちゃんが欲しくて堪らない」
その日、太宰は初めてに接吻をした。