今回の依頼人は中央の国と東の国の国境付近にある、鬱蒼とした森の中に居を構えて静かに暮らしているらしい。
彫金師としてのわたしに仕事の依頼をしてくる人は、有難いことに多くいる。依頼されれば、よほど難しい場所に相手がいない限りは、わたしの方から出向くようにしていた。今回は決して難しい場所ではなく、むしろ非常に簡単な場所にいた。
依頼人は中央の国の魔法使い。彼を探すのは非常に簡単だと、近頃――と言ってもここ百年の間――もっぱらの噂の人物なのだ。
中央の国側から、彼の住まう森へ入ると、すでにその入口付近から、銀色の細くつやめく、そして妙に目立つ蜘蛛の糸のようなものが森の奥に向かって伸びている。銀色の糸は、あちらこちらにうねりながら、ときに縺れるようにして絡み合いながら、森じゅうのいたるところに引っかかっていた。
糸に躓かないように、でも糸の伸びていく方向に向かいながら、森の中を慎重に歩く。そう時間もかからずに、森の中の少しひらけた場所に出たと思ったら、そこへ沢山の糸に取り囲まれるようにした一件の家が建っていた。
家の入口に続く小路には、うねりながら沢山の糸が太い束のようになって伸びている。何となく、それを踏まないように足を運んでいると、入口にたどり着く前に、そのドアが内側から開かれた。
「ああ、早かったですね、ようこそお越しくださいました」
依頼人の男は細面の顔に人好きのする笑みを浮かべて、わたしに向かって会釈する。わたしも軽く頭をさげて「ご依頼いただきました、です」と名を名乗った。
「どうぞ、中へお入りください。――ああ、これは別に避けていただかなくても結構ですよ。踏んでもなんともなりませんから」
これ、と言いながら彼は自分の足元に渦を巻く糸を指さす。
糸は、彼が背後に浮かべる小さな糸車から延々紡がれているのだった。
依頼人の彼は中央の魔法使い。自身の魔道具の糸車を以て、絶え間なく糸を紡ぎ続けていることで知られている人物だ。
「お願いしたい石というのは、これなんです」
指輪にしてほしい石がある。詳しいことは会って話したい。そういう依頼だったので、挨拶もそこそこに彼は一つの小箱を取り出して見せた。寄木細工で作られた手のひら大の小箱には、鍵穴がついているが鍵が存在しない。蓋の継ぎ目をさわってみても、開く気配はなかった。わたしが少し戸惑って顔をあげると、目が合った彼はにこりと微笑んで、小さく呪文を唱えた。
「―――」
カチ、と小さな音がして小箱の蓋がゆっくりと上がる。中にはひとつの石がころんと転がっていた。
――マナ石だった。依頼を受けた時点でやけに石にこだわっていたことと、この魔法使いに関するうわさから、想定できたことではあったものの、やはり実際に目にすると思わず息をのんでしまう。
「ご存知かもしれませんが、これは僕の恋人の石です」
彼が糸車で糸を紡ぎつづけているのには、理由がある。これも、噂レベルでしか耳にしたことがなかったが、どうやらこの様子だと噂は本当であるらしい。『彼はある日突然消えた恋人のために、自分の居所がいつでも分かるように道標として糸を紡いで歩いて回っている。そして、その恋人はおそらくとうの昔に石になっている。』
「ずっとずっと、彼女を探していたんです。ようやく見つかったので、肌身離さずつけられるように、指輪にしていただこうと思って」
マナ石を宝飾品に加工してほしいと依頼してきた人は初めてだった。マナ石は魔法使いにとっては大切な資源のひとつだ。たとえば、肉や魚を食べずにわざわざアクセサリーにしたがる人間がいるだろうか。少し感覚は違うかもしれないが、魔法使いにとってマナ石を宝飾品にするというのは、それに似たようなことだ。
「どうぞ、あなたになら預けられると思ってお願いします。彼女の石を世界一綺麗な指輪に仕立ててください」
土台はどんなデザインがいいか、地金は何が希望か、どんなものが好みか。いろいろと訊ねたのだが、彼は「あなたにお任せします」の一点張りだった。いや、彼が主張したことがひとつだけ。「石はこの形のまま、一切削らないでください」という注文だけ、彼は断固として譲らなかった。もとより、この石を削る勇気は私にはなかったものの、彼の頼みには一も二もなく頷いた。
幸い、石は小指の爪の大きさ程度だったので、少し指輪にしては大ぶりではあるものの、彫金することに不自由は感じない。とはいえ、依頼主の恋人の石である。気持ちのうえでの不自由さは相当なものだった。
◇◇◇
「面白い依頼を引き受けた、と風の噂で耳にしましたよ」
シャイロックがそう言っていつもの微笑を浮かべたのは、中央の国の大通りから一本外れた路にある小洒落たカフェのテラス席でのことだ。
中央の国の宝飾店に用があってたまたま通りかかったら、何故だかムルとシャイロックがテラス席で二人優雅にお茶をしていたのである。「ムルが店内の席は嫌だと言うので」「犬猫お断りなんだってさ!」そもそもどうしてここでお茶をしなければならないのか、その点があまりよく理解できなかったが、理解しなくても支障はない。わたしは彼らのテーブルの空いた席に腰かけて、彼らと同じように紅茶とケーキのセットを注文した。
「それって本当に風の噂なの? あなたが私を付け回して知った……とかじゃなくって?」
「おや、私がそんなに退屈そうに見えますか?」
「噂? 噂って大好き! ねえ、どんな噂?」
椅子を器用にガタガタ音を立てて揺らしながら、ムルが翠色の一層まぶしくきらめかせる。「わたしの仕事のことだよ」とシャイロックより早く口を開けば、ムルは「仕事? の仕事知ってる、指輪の仕事だ! そうでしょ?」ときらきらの顔をわたしに向けた。指輪以外の仕事を受けることもあるが、今回は指輪で正解だ。だけれど、仮にも依頼人から頂いた仕事の詳細を話して聞かせることはできない。
ムルの返事は嬉しいものの、わたしが躊躇いながら、あいまいに頷くと、シャイロックが「恋人の石で作る指輪だ、と聞きましたよ」と横やりを入れた。
「中央の魔法使いで、ここ数年少し噂になっていた人物からの依頼だ、と」
「へえ! それってどんな魔法使い? 俺より変わってる?」
「あなたより変わっていたら、きっと今頃彼の噂は五カ国中に轟いていますよ」
恭しくサーブされた紅茶に口をつけてわたしが黙っていれば、シャイロックは〈噂で聞きかじった内容〉とやらをかいつまんで説明した。概ね、事実通りだった。中央の魔法使いの〈噂〉のこと、彼の恋人のマナ石がようやく見つかったらしいこと、その石で指輪を作ろうとしていること。
「――私が知っているのは、こういう内容です。、実際のところどうなんです?」
「わたしがお客様のことを詳しく喋るわけないでしょ」
白々しく伺ってくるシャイロックに、わたしが鼻を鳴らして答えると、彼は満足そうに微笑んだ。「あっ、ねえねえ!」思いついた、とばかりに手にしたフォークでチン、と紅茶のカップを鳴らしてムルが再び口を開く。わたしもシャイロックも「なんです、ムル」「どうしたの、ムル」とはしゃぐ彼を見やった。
ムルはテーブルに両手をついて腰を浮かせると、向かいの椅子にかけていたわたしに少し顔を寄せた。美しい瞳は好奇心でいっぱいに生き生きしている。
「その魔法使いって、いなくなった恋人が自分を追いかけてこれるように糸を紡いでたんでしょ? そしたら、もう石になった恋人が手の中にあるなら、もう糸は紡がなくなっちゃうのかな?」
「さあ……どうでしょう。それは彼のみぞ知るところですよ」
「それにさ、せっかく手に入った石だよ? 指輪にするよりいっそ食べちゃった方が大好きな恋人とずうっと一緒にいられるんじゃない? どうして指輪にしちゃうんだろ」
「ムルだったら、どうするの?」
わたしの質問に、ムルはふっと口を噤んだ。「うーんと」考え込むようなそぶりで、フォークでカップのふちを二度鳴らす。テラス席の別のテーブルでオーダーを取っていた店員がちらりとこちらを見たが、すぐに何も見なかったように立ち去った。
「食べちゃうかなぁ。ううん、食べちゃうよりもっといい方法を探すかも! だから、やっぱりその魔法使いって俺と同じくらい変!」
「それはとんだ濡れ衣を着せられたものですねぇ」
「じゃあ、シャイロックは? 恋人のマナ石が手に入ったら、食べちゃうの?」
パクパクって食べちゃう? 言いながら、ムルは皿に残っていたスコーンの欠片をぱくんと口に入れた。そのままもぐもぐやりながら、シャイロックの顔をじいっと見つめる。
「さあ……美味しそうだったら食べるかもしれませんね」
「わあ! シャイロックったら食いしん坊! は?」
「え……」
「はどうするの?」
ムルはテーブルに肘をついて頬杖をつき、にこりと笑った。丸い目がわたしという人間の底の底まで見透かそうとしている。そんなふうに思わされてしまうけど、真実、ムルがなにを思っているかなんてわたしには少しも分からない。見透かそうとしている、だなんて、観察される側の驕りかもしれなかった。
――そうだとしても、「は? どうしたい?」と訊かれてうまく答えられる言葉が湧いてくるわけでもない。
「……わたし、なら……」
◇◇◇
「ああ、やっぱりあなたにお願いして本当によかった」
数日後、完成した指輪を携えて依頼人のもとを訪れた。彼は指輪を見て、一目でその表情をふわりと幸せそうに緩めてくれた。どうやら、気に入ってくれたようだ。いつになく、緊張する依頼内容だったから、彼のその顔を見てわたしも知らず肩に入っていた力を抜くことができた。
「これなら、彼女も気に入ってくれると思います」
「彼女も、ですか?」
「ええ、だって自分の石をこんなに綺麗に飾ってくれたんですから。喜ぶと思います」
「それなら、よかったです」
彼は台座からそっと指輪を取り出すと、自分の左手の薬指にそれを嵌めた。石のための指輪だから、過度な装飾は施さず、男性がつけていてもあまり違和感のないデザインのそれは、彼の手によく似合っていた。「お似合いです」わたしが言うと、彼も満足そうに微笑む。
「これで、彼女も迷わず僕のもとに来てくれるでしょう。本当によかった」
「あなたの、もとに……? その、彼女さんと仰るのは、」
「もちろん、この石の彼女です」
彼の背後では、彼の魔道具が未だに糸を紡ぎ続けている。彼の部屋中、きらきらとする無数の糸がところかまわず張り巡らされていて、これ以上、彼の存在を主張する必要はないように思えるのに、糸車は止まる気配がない。
「彼女は、きっと生まれ変わって僕を探してくれます。長く探させるのは申し訳ないですから、僕が彼女の石を身に着けていたら、きっと彼女も僕を探しやすいでしょう?」
「生まれ、変わり、」
「ええ、そうです。死んだ者は、もう一度新しい肉体を以て新しい人生を歩むために生まれてきます。そういうものなのですよ」
わたしは微笑んだ表情を貼り付かせたまま、「なるほど」と乾いた唇で相槌を打った。彼が指輪のつけた左手を、光にかざすようにして高く挙げる。わたしも彼も、その真新しい指輪を見上げた。指輪に填められた石は、光を受けて美しく輝いている。
「僕の糸をたどって会いに来てくれる彼女に、この指輪を作ったのはあなただと、そう伝えたらきっと彼女もあなたに感謝してくれるでしょう」
「そう、ですか。でしたら、嬉しいのですが」
「もちろんです。この度は本当に、ありがとうございました」
依頼人である中央の魔法使いの彼は、深々と頭を下げてくれた。
――あれから月日は流れたけれども、彼の糸車が止まったという話は、未だに聞いたことがない。
##生まれかわり##