アズールの姉夢主


両親の元に、アズールがオーバーブロットしたと学園から連絡が入ったのは数ヶ月前だった。海で暮らす両親と違い、陸で生活をしている私に、両親は様子を見て来てくれと言ったけれど、私はそれを何かと理由を付けて断ってきた。今更どの面さげて顔を合わせればいいのだろう。しかし両親がそれを許すはずがなく、何度もしつこく連絡してきて、根負けした私は、仕事が休みの今日、様子を見に来たのだ。一応両親の代わり、ということで学園長室で少し話をした後、アズールは学園でカフェを経営していると教えて貰った。ここに呼びましょうか、と言う学園長の提案を断り、そのカフェへ向かうことにした。カフェは繁盛しているらしく、学生たちが動き回っている。アズールは何処かしら、と見渡せば「姉ちゃん」と聞き覚えのある声が近付いてきた。私は君の姉ではないんだけど、と思いながら「アズールはいるかしら」とフロイドを見上げた。

「アズールは今奥にいるよぉ。案内したげるからちょっと待って」

そう言って手に持っていたトレイを近くの学生に渡したフロイドは、「お待たせ〜。こっち」と私の手を引っ張った。外部の、それも女である私がフロイドに引っ張られている様は当たり前だけど目立つわけで、学生たちからの視線が痛い。歩くこと数分、「アズールー!姉ちゃん来てるよー!」とフロイドがVIPルームと書かれたドアを遠慮なく開ける。アズールは「フロイド!ノックをしろと何度言ったら…… 姉ちゃん……?……姉さん?!」と手元の書類をバサバサ落としていた。「じゃあ俺戻るね〜」と背中を向けたフロイドに礼を伝えれば、アズールは「いやお前の姉じゃないですからね!」と時間差で叫んでいた。その後フロイドと入れ替わるように入ってきたジェイドが「姉さん、お久しぶりですね。これよかったらどうぞ。アイスティーです」といつもの笑顔でテーブルにグラスを置くと去っていった。アズールは書類を拾いながらジェイドの背中にも「お前の姉じゃない!」と叫んでいた。

「……急にどうしたんですか」
「近くを通ったから様子を見に来たの。陸での生活はどう?」
「大分慣れましたよ。カフェもうまくいっていますし……」
「そう。それはよかった。パパとママが心配していたから、伝えておくわ」

「これ、戴くわね」、氷の溶ける音が響く。アズールは話はするものの、私と目を合わせようとしなかった。
アズールにとって、私は良い姉ではなかったと思う。アズールのことが嫌いなわけでは無いし、可愛い弟だと思っている。でもそれだけ。それ以上でもそれ以下でもなくて、ただの、可愛い弟。そして私のその可愛い、は何か行動するきっかけだとか、理由だとかにはならなかった。だからアズールが「みんなが僕をいじめるんです」と泣いていたとき、私は一言「そう」と返しただけだった。弱ければ淘汰される、自然界ではそれが普通だった。姉弟だからといって、争わないわけでも無い。獲物を奪い合うとか、相手を攻撃するとか、そういうことは無かったけれど、アズールは一度私に毒を飲ませようとしたことがあった。私のご飯にこっそり盛ったのだ。試作段階のそれは、私の口に入ることはなかったけれど、アズールは何とも形容し難い複雑な顔をしていた。聞かれたくないことや不都合なことがあると、アズールはそういう顔をする。

「……何も聞かないんですか」
「聞いて欲しいの?」

汗をかいたグラスをテーブルに戻しながらそう言えば、アズールは“そういう”顔をする。それから一度私を見て、逸らして、眼鏡を押し上げながら「いえ……」と小さく言った。それはどこか呻き声にも近かった。

「アズールは賢い子だもの、何がいけなかったのかきちんと反省しているでしょうから、私から言うことなんて何も無いわよ」

逸らした目を私に戻したアズールが「本当に様子を見にきただけなんですか?」と不安そうな声を出す。学園長と話をしたことは伝えず、「ええ。パパとママがたまには様子を見てこいってうるさいのよ」と返した。

「父さんと母さんに言われたから、来たんですか」
「ええ。そうだけど」
「姉さんは、僕のことどう思ってるんです」
「……何が言いたいの?」

まただ。また、“そういう”顔をする。私はアズールの、その顔が苦手だった。「姉さん、本当は気付いていたんですよね」、アズールは立ち上がると、私の隣に腰掛けて、その身を寄せた。アズールの手が、私の手の甲をなぞる。アズールの感情が、頭の中に押し寄せてくる。
最初はただの姉への憧れだったはずなのだ。ただ、アズールより生まれたのが数年早くて、アズールより物を知っていて、だから魔法もアズールより使える。それだけ。私にとって、アズールはただの可愛い弟でしかない。アズールの持っていた、ただの憧憬が別の感情に変わっていくことに、私はずっと知らないフリをしてきた。見ないフリをしてきた。アズールを助けなかった、それがトリガーになるのを恐れたから。
アズールの言う通り、私は気付いていた。昔、アズールが私のご飯に盛ったのは、毒なんかじゃない。惚れ薬の類のものだ。

「僕、姉さんが好きなんです」

賢く、優秀で努力家な、私のたった一人の可愛い弟。けれど、それだけ。私にとっては、それ以上でもそれ以下でもなくて、それだけなのだ。
血は水よりも濃い