「浮かない顔をしているね」

閉店間際だった。もう客は居ないし、このまま片付けてしまおうと思っていたところにムルが来た。いつもの席に座ったムルは、席に着いて早々にそんなことを言う。

「私が? だとしたらもう閉店だと言うのに席に座ったあなたのせいです」
「一杯くらいいいだろう」
「仕方のない人。一杯だけですよ」
「ついでにあのチョコレートも食べたいんだけど」
「あれは品切れです」
「嘘。多く仕入れることにした、と言っていたのはきみだ」

「閉店間際とはいえ、客の望むものを出せないのは、きみの矜持に反する筈だ」と続けられ、溜め息が一つ溢れた。そっと呪文を唱えると、酒と一緒に要望通りのそれも並べる。

「自分用に取っておいたのですが、特別ですよ」
「ここの娘と取引したんだろう? 融通して貰えば良いのに」
「そういうわけにはいきませんよ。彼女にとってはビジネスでしかありませんから」
「そうかな。きみの話を聞く限り、その娘はきみに気があると思うけれど」
「馬鹿なことを仰らないで。さっさと飲んで帰ってください」
「きみも彼女に気があるんだろう」

こちらを見透かしたような、何もかもを知っているとでも言いたげな瞳が見ている。「浮かない顔の理由はそれだ」とムルは酒を一気に仰いだ。何を馬鹿なことを、と反論するより先に「ごちそうさま」とムルが言う。空のグラスと皿を回収して、店の看板をクローズに変えた。

「シャイロック、きみは彼女に恋をしている。違う?」
「何を馬鹿なことを……、と言いたいところですが、たまにはあなたの知恵を借りるのも悪くないかもしれません」
「あれ、本当に恋してるんだ?」

ピクリと自分のこめかみに青筋が立つのがわかる。グラスを磨いていた手に力が入って、このままでは割ってしまうとゆっくり力を抜いた。
「ごめん。怒った?」と謝りながらもどこか楽しそうなムルに、「あなたに借りる知恵なんて何一つありませんでしたね」と返す。飲んだのならさっさと帰れと伝えると、ムルは立ち上がって「また来るよ」と店を後にした。
一人きりになった店内で、ムルの言葉を思い出す。恋。そんなはずはない。ただのビジネスパートナーだ。それだけなのに。

───私、魔法使いが嫌いなんです。

それだけのはずなのに、彼女に自分が魔法使いであることを言えずにいる。今後も彼女の店と取引を続けたい。それならば、正直に言ってしまったほうが良いというのに。長く生きてきた中で、嫌われることなんて数え切れないくらいあった。それなのに、彼女の口から、嫌いだと言われるのを恐ろしく思っている自分がいるのだ。