店を開けて一年と少しが経った。客足は良く、売り上げも上々で、あれ以来問題もなく経営を続けている。ただ一つ変わったのは、あの日、彼が店を直してくれた日から彼が店に来なくなった。お礼がしたいと言っても、彼はこれからも取引を続けてくれればそれで良いと言うだけだった。
その取引も、品物を取りに来るのは彼自身ではなく、彼の使いだと言う人や、私には馴染みのない魔法生物だった。鳥のような生き物の首に袋を下げたのが記憶に新しい。ちゃんと届くのだろうかと不安だったけれど、彼から連絡は無いからきっと大丈夫なのだろう。
「パティアを怒らせた」
ベルの音と共に、そんなことを言いながら入って来たのはムルさんだった。
「いらっしゃいませ」と言うと、ムルさんは「だから機嫌が取りたい」とショーケースに目を走らせる。
店が荒らされたとき、自分を慰めようと未開の天文台近くで星を眺めていた。あの辺りは人工的な光が無くて、天体観測にはうってつけだ。そのとき泣いていた私に声をかけて、話を聞いてくれたのがパティアさんで、その延長でムルさんとも知り合った。高名な学者で、雑誌では何度か顔を見たことがあったけれど、話したのはそのときが初めてだった。
何をして怒らせたのか気になるところだけれど、あまりお客さんの事情に首を突っ込むのは良くないだろう。ショーケースを前に悩むムルさんに、最近並べ始めたばかりの新作を薦めた。
「中にルージュベリーで作ったジャムが入ってます」
「へえ。甘い?」
「そこまで甘くないですよ。甘味と酸味のバランスが良いと好評です」
「じゃあそれを三つと、あっちのビターチョコ二つ」
「ありがとうございます」
ご機嫌取りのためにムルさんがわざわざ買いに来るのが意外で、何だか少しおかしくて「ふふ」と笑みが溢れてしまった。本人の前で失礼だったなと、慌てて「すみません」と謝る。
「俺が彼女の機嫌を取るのが意外?」
「はい。なんていうか……、そういうことをする人に見えないので……。すみません……」
「彼女は天文台の所長だから、機嫌を損ねたままだと何かと面倒なんだ」
チョコレートの入った袋を受け取りながら、ムルさんは肩を竦めた。
パティアさんにはお世話になったから、クッキーをおまけで入れておいた。それを伝えると同時に、コンコンと扉の叩かれる音に、私もムルさんも扉へ目を向けた。
そこには鳥のような魔法生物が宙に浮いていた。最近よく来る彼の使いだ。私はカウンターから出て、扉を開ける。「その鳥……」と呟いたムルさんに、彼の使いであることを説明した。ムルさんは鳥をじっと見つめて「ふぅん」と笑った。
天文台に行ったとき、ムルさんと彼が友人であることを知った。そのとき、ムルさんが「俺がきみの泣いた顔を見たって言ったら、シャイロックはどんな顔をするかな」とどこか楽しそうに話していたのを思い出す。私はどうしてそこで彼の名前が出るのかわからなかった。
鳥の嘴に挟まった手紙を抜き取る私の手を、ムルさんが掴んだ。驚いた私に、ムルさんが楽しそうに問う。
「きみはシャイロックが好き?」