タコです!
「ヒェッ」
いつもなら「おはようございます」のところだが、アズールの口から出たのは悲鳴だった。はそんなアズールに「おはようございます」と笑顔で返した。片手にうねうねと動く生き物を持ちながら。
「アズールさん、今日は起きるの遅かったですね。いつもは私より早いのに」
「疲れてます?無理しちゃダメですよ」と声と顔は優しい、アズールが大好きななのに、手に持っているものがあまりにもショッキング過ぎる。はそんなアズールのことなど気にもせず、手に持ったうねうね動く生き物──タコ、正確にはタコの足を口に含み、ブチブチと食していた。
「美味しいー!」
朝、天気は快晴。美味しいと叫ぶ妻の笑顔が今日も可愛い。アズールは久しぶりの休日。可愛い可愛い、大好きな妻とゆっくりできる休日。そのはずだったのに。
「…… さん、なにを……」
「しているんですか……」と訊くアズールの声は震えていた。は「あっ」と恥ずかしそうに、うねうね動くタコ足を一度皿に置いた。
「すみません、食事中に喋るのは下品でしたよね」
違う、そこじゃない。アズールは声を大にして言いたかったが、それより何よりもっと言うことがある。はタコを食しているのだ。そう、タコを。それも生きたまま。
「……いえ、そうではなく……何を食べているんですか?」
皿の上で動くタコ。実はその横にもう一皿あって、その中にもタコがまるまる一匹動いている。え、もしかして一匹目は足意外もう全部食べた?アズールの頭にはそんな疑問が浮かぶ。
は皿の上で動くタコを一瞥して「タコです!」と満面の笑みを浮かべた。見ればわかる。どこからどう見てもタコ。タコ以外のなにものでもない。そう、タコ。生きたままのタコをは食べている。タコの踊り食い。そしての夫、アズールは蛸の人魚。
「あ、アズールさんも食べますか?お皿持ってきますね」
そう言って席を立とうとしたの腕に、控えていたタコが足を絡ませた。は「あっ……、もう、元気だなぁ」と絡まった足を外す。の腕にはまあるく跡がついた。その光景にアズールの眼鏡がずり落ちる。なんだあのタコ、羨ましい……。僕は人魚の姿で性交したことないのに。アズールの頭にはそんなことばかり浮かんでいた。性交ではない。
スペースキャットならぬスペースオクトパスになっていたアズールだったが「アズールさん?お皿持ってきましたよ」とに言われ、我に返った。我に返ったがタコがタコを食すのか?という話である。食さない。なぜならアズールには共食いの趣味はないから。
「食べないんですか?」
「いえ、僕は……」
「ジェイドさんがアズールさんと一緒にどうぞってくれたんですよ」
「美味しくて一匹先に食べちゃいましたけど」と言うに、アズールは全ての合点がいった。は割と何でも食べるほうだ。育った環境ゆえか、好き嫌いもあまりない。それには大変に良くできた妻である。優しくて穏やかで気遣いも出来て、可愛くて可愛くて、そりゃあもう可愛い妻だ。そんな自分の妻が、蛸の人魚である自分の前でタコを生きたまま食すなんてするはずがない。アズールはそう信じている。
「ジェイドが……?」
「はい。アズールさんは共食いの趣味があるって」
「僕に共食いの趣味はありません」
何度でも言おう。ない。アズールにそんな趣味は一切ない。
「……もしかして、私、すごく最低なことしてます……?」
アズールのただならぬ雰囲気に気付いたが不安そうに首を傾げた。今にも皿の上から逃げ出しそうなタコを押さえつけながら。
アズールはジェイドの来月のシフトを増やすこと決め、「いえ、さんは何も悪くないですよ」と微笑んだ。そう、悪いのは全部ジェイドだ。あの無害そうに見えて一番有害な事態をわざわざ起こす何ならフロイドより愉快犯のジェイドが全部悪いのだ。
「美味しいですか?」
「はい!タコの踊り食いって初めてなんですけど、新鮮で美味しいです」
アズールはの手元は見ないふりして、笑顔だけを頭に焼きつけた。少し、ほんの少しだけ笑顔でタコを食していくに興奮したのはアズールだけの秘密である。
20210218