モストロ・ラウンジの一般開放日だった。普段はあまりホールに出ることのないアズールは、外部の人間の声を耳に入れるべくホールに立っていた。モストロ・ラウンジはマジフト場と同じく観光名所の一つで、数か月に一度の一般開放日には外部の人間で溢れ返る。「深海みたいで綺麗」「料理もすごく美味しい」「接客も丁寧で良いね」、今まで外部の客たちからは、称賛の声しか聞いたことがなかった。そんなアズールの耳に、その声はよく届いた。アズールは歩きながら声の方を確認する。女性と男性が一人ずつ、注文した料理は白身魚の蒸し煮。それは本日のおすすめで、調子の良いフロイドが作ったものだった。同じものを頼んだ他のテーブルからは「美味しい」の声。勿論味覚は人それぞれだし、好みだってある。しかし、その後デザートに手を付けた女は、それも「美味しくない」と溢していた。それを宥めるかのように、女の向かいに座った男は「そうかな?俺はすごく美味しいよ」と笑っている。そのときだった。ガシャン、と大きな音を響かせて食器が床に落ちた。女が落としたのだ。
「美味しくないったら美味しくないのよ!」
声を荒げた女に視線が集まる。「止めろって、こんなところで」男が焦った声で女を宥める。男の方は良識のある人間みたいだな、とアズールは安心したが、その後女が放った「こんなところに連れてくるなんて、あなたのセンスって最低だわ」の言葉に固まった。美味しくない、こんなところ、センスが最低、アズールは今すぐにでも問い詰めて話を聞きたかったが、「さっきから文句ばっか言いやがって!ふざけんなよ!」という怒声に眉を上げた。女の言葉に激怒した男の手が、女に振りかざされる。店中の客も店員も二人に注目していた。アズールは急いでそのテーブルへ向かうと、寸でのところで男の手を掴んだ。アズールは折角の稼ぎ時である今日を無駄にしたくない。客の質は店の質、ここで問題を起こされたら困る。
「お客様、ここは紳士の社交場です。当店ではいかなる揉め事も認めません」
ギリギリ、ミシミシ、掴まれた男の手が悲鳴を上げている。男は「ひっ、すみません!」と腕を振り解き、顔を青くすると席を立って出て行った。「お前払っとけよ!」と女に捨て台詞を吐いて。アズールは男の本性はこっちか、と思いながら「大変失礼致しました。皆様どうぞ引き続きお食事をお楽しみください」と周りの客へ恭しく声を掛ける。客たちはそれを合図に各々の食事に戻った。女は溜め息を一つ、それから落とした食器を拾いながら「ごめんなさい」と呟いた。
「騒いで、食器も落として、ごめんなさい。お会計お願いします」
アズールはその言葉を聞きながら「料理はお気に召しませんでしたか?」と問いかけたが、女は目を逸らして「ごめんなさい……」と返すだけだった。何か隠している、アズールは直感した。
「好みは人それぞれですから、謝ることはありませんよ」
アズールは笑顔で、紳士的に返した。「今後の運営の参考にしたいので、もしよろしければお話を聞かせて頂けませんか」、少々圧のある声でアズールは言う。しかし女は「……ごめんなさい」と返すだけだった。それでも「お時間は取らせませんよ」と食い下がるアズールに、女は「お会計を、お願いします」と強い声を出した。アズールは仕方ない、と思いながら女が落とした食器に物質を歪ませる魔法をかけた。「残念です」とか「折角外部から来てくださったお客様のお話を聞きたかったのですが」とか言いながら、女にバレないように。
「あぁ、あなたが落としたそれ、大変高価なうえにもう生産されていないデザインのものなのですが……、もし似たようなものをご存知でしたらぜひ教えてくださいますか?うちは食器ひとつにもこだわっているので」
これで罪悪感を誘い、話をしてくれればと思ったアズールだったが、女は「……今あなた魔法を使ったわ」と言いながら同じく魔法を使って食器の歪みを直した。元通り、綺麗になった食器に驚きを隠せないアズールに、女は「もしかして、私は馬鹿にされているのかしら」と呟いた。それから席を立つと三度目の「お会計をお願いします」の言葉。女を引き止める最善策が思い浮かばないアズールは、「かしこまりました」と引き攣った笑顔で返した。
帰り際、「お悩み相談も受け付けていますので、またぜひお越しください」とアズールは外部の客向けのカードを渡した。それを受け取りながら女は「何でも聞いてくださるの?」と首を傾げた。アズールはその仕草をちょっと可愛いなと思いながら「ええ、勿論!」と返した。ほんの少し何かを考えた女は「また来ます」と笑った。その笑顔に、アズールの心臓は煩くなった。何か魔法をかけられたのかと訝しんだが、後ろで「寮長ー!」と呼ぶ声に、次こそは口を割らせてやると固く誓い「お待ちしております」と頭を下げて女を見送った。
***
次の一般開放日に女は現れなかった。その次も、そのまた次も。アズールはまた来ますだなんて言っておいて、どういうつもりだと内心憤っていた。次こそ口を割らせてやろうと思っていたのに。
「アズール、頼まれていたものです」
なぜ来ない、と苛立っていたアズールはジェイドの声に顔を輝かせた。女の情報を得るべく、ジェイドに調査を頼んでいたのだ。「ありがとうございます。それで、何かわかりましたか」、アズールの問いかけにジェイドは「ええ」と笑いながら書類の入った封を開けた。
「名前は=さん。共学の魔法士養成学校に通う16歳。入学試験を主席で合格、その後も常にトップの成績を収めていますね」
「他には?」
「それが、他には特に目ぼしいものは出てきませんでした。普通の女子高生という感じですね。あぁ、マジカメのアカウントは見つけましたよ。裏アカは見つけられませんでしたけど」
「持っていないのか、うまく隠しているのか」と呟くジェイドに、ジェイドが見つけられないのならきっと持っていないのだろう、とアズールは考えた。思っていたより収穫は得られなかったな、とアズールは女のマジカメを検索した。そこには女子高生らしくお洒落なケーキの写真や洋服の写真が並んでいた。最近の投稿に見覚えのある写真を見つけ、タップする。それは先日女がモストロ・ラウンジに来たときのもので、白身魚の蒸し煮だった。タグには「初めて行った」とか「観光名所」とか無難なものがつけられていた。コメント欄を覗けば、女の友人らしいアカウントが「料理おしゃれ!美味しかった?」とコメントしている。その下に投稿された女の返信は「美味しかったよ。お店の雰囲気も良かった」と肯定的だった。しかしアズールは「美味しくないったら美味しくないのよ!」と言う声を耳にしている。どちらが女の本心だろうか。そういえば、あれはどこか悲鳴にも近かったな、とアズールは思い出す。
「それで、どうしてアズールはその方を調べているんです」
いつもの笑みでジェイドが問いかけたが、アズールは何となく話す気になれず「別に。お前には関係ないことです」と眼鏡を押し上げた。「おやおや」とジェイドが深く追求しようとしたが、「ねえー!」と突然開かれたドアに二人とも顔をそちらへ向ける。そこにはフロイドと、フロイドに首根っこを掴まれ気絶している男、その一歩後ろにあの女が立っていた。女を視界に入れたアズールは固まった。なんでここに。今日は一般開放日ではないし、そもそもなんで買い出しに出たはずのフロイドと一緒なんだ、アズールの頭の中では色々な言葉がぐるぐるしていた。
「おやおや、フロイド。その方どうしたんです?」
「なんかぁ、その子に手ェ出そうとしてたから絞めた」
「なるほど。買い出しに出た街中で、彼がそちらの彼女に手を上げようとしていたため、フロイドが彼を殴って気絶させ、連れて来たと」
ジェイドの説明に「そういうこと~。だって女の子に手ェ出すのは最低じゃん」と男を床に転がしたフロイドは「オレは道に置いてきても良かったんだけど、その子が証拠が残るからダメだとか言って、でも女の子には運べないし、持ってきた」と続けた。アズールは気絶した男を見て、先日女と一緒に来店した男だと思い出した。
「あなたたち、以前ご来店くださいましたね?」
アズールがそう問えば、女は「はい。……ごめんなさい」と頭を下げた。謝られてばかりだな、と思いながらアズールは「失礼ですが、彼とはどういうご関係で?」と出来る限り優しい声を出した。
「同級生です。一度告白されて、お断りしたんですけど、しつこくて。一度だけデートしてくれれば諦めるから、と言われて……」
「なるほど。そのデートが先日のご来店というわけですか」
「はい……」
目を逸らしながら話す女に、アズールはやっぱり何か隠しているな、と考える。でも何を。女に関する情報もあまり手に入らなかった。とすれば、女に直接聞くのが一番である。隠されると暴きたくなる、そういう性。アズールはフロイドとジェイドに「お前たちは開店準備に戻って結構ですよ」と二人を追い出した。女が「あ、助けてくださってありがとうございました」とフロイドの背中に声を掛ければ「また店に来てね~」とフロイドはひらひらと手を振った。
部屋は残された女と気絶した男とアズールというなんとも奇妙な空間だった。男を一瞥したアズールは「とりあえず彼は学校にでも戻しましょう」と転移魔法で男を移動させた。それに「わぁ」と感嘆の声を上げる女。二人きりになったところで、アズールは女にソファに座るよう促し、アズールも女の向かいに腰掛けた。「さん」、アズールが笑顔で言う。女は「どうして名前を」と驚いた声を上げたが、アズールはそれに答えることなく足を組んで言った。
「あなたのお悩み相談を受け付けますよ」
***
「私、味がわからないんです」
俯きながらそう話し出したに、アズールは「味?」と聞き返す。はそれに「はい」と一言。会話はそこで終了。もっと何か無いのか、と思ったアズールは「味覚障害でしたら専門の機関に相談されては?」と提案したが、は味覚障害とは違うのだと言う。アズールは持っている知識を総動員させる。脳内であらゆる言葉を検索するが、ヒットするものは無い。つまりお手上げ。というか、がもっと詳しく話さないのが悪いのではないか、とアズールは思った。こうなればもうジェイドと「お話」してもらうしかない。ラウンジの閉店まではあと数時間。とりあえずそれまで時間を稼ぐか、とアズールは「親しくない相手にお悩み相談なんて、急には難しいですよね。少し雑談しましょう」と適当な言い訳をして、話始めた。
「さんは学校で大変優秀な成績を収められているとか」
「よくご存知ですね。うちの学校、成績が良いと学費免除されるから」
「ほう。しかし常にトップを取り続けるのは大変では?」
「学ぶことは嫌いじゃないので、別に……」
「よくできた娘さんだ。さぞかしご両親も鼻が高いでしょう」
「どうでしょう……。うちも全寮制だから、あまり実家には帰っていなくて」
アズールの放ったご両親、の言葉にが僅かに反応した。時間稼ぎもそうだが、何でもない日常会話の中で、何かの情報を得られればとアズールは思ったのだ。両親に関して聞かれたくない、話したくないことがあるのかもしれない、とアズールは察した。もう少し突っ込んだ質問をしようかと考えている間に、「あなたの……、あの、お名前教えてください」とが言う。
「あぁ、申し遅れました。アズール=アーシェングロットです」
「アズールさん」と笑ったに、アズールは心臓を鷲掴みされた気分になった。のユニーク魔法か、と一瞬疑ったがすぐに元通りになったので違うか、とアズールは脳内で一人会話した。
「アズールさんの先程の転移魔法も素晴らしかったです。アズールさんこそ、とても優秀な方なんですね」
それは別にアズールに媚を売ろうとか、そういう声色ではなくて、本当に純粋な褒め言葉だった。褒められて悪い気はしないアズール。「本当に素晴らしいわ。NRCは名門だから優秀な方がたくさんいるのは耳にしていましたけど、こんなに優秀だなんて」とは更に褒めた。新しい発見でもしたかのようにはしゃぐ。そんなに、アズールは今までと少し印象が違うなと感じた。
「あのくらいならさんにも出来るのでは?」
「いえ、私、転移魔法は苦手で……。飛ばす先のイメージがいつもうまくいかないんです」
「あぁ。確かに、行ったことのない場所は想像するしかありませんから、難しいですね」
「あら、アズールさんは私の学校に来たことがあるんですか?」
「いえ、写真で見ただけですよ」
「見ただけでも正確に移動させたのだからすごいわ」
「正確に移動させられたかどうかは、ぜひ明日あの男に聞いて確かめてください」
「そうしたいけれど、もうあの人とは関わりたくありません」、は溜め息を吐いた。それからはあの男がいかにしつこかったかを話し出した。しつこいうえに短気で気性が荒い、でも同じクラスだから嫌でも顔を合わせる。今日はフロイドに助けて貰ったから良かったけれど、また手を出されたら怖い。いくら魔法が使えるとはいえ、物理的な力には敵わないことだってある。一通り話し終えたに、アズールは「でしたら明日はこのコロンをつけて行かれては?」と普段自分が使っているものを差し出した。
「コロン?」
「ええ。手を出していただいても?」
「はい。わ、……これ、もしかして」
「流石、察しが良いですね。それを付けていれば、さんを攻撃しようとする人に対してだけ防衛魔法が発動します」
「いい香りですね。私、この香り好きです」
自分と同じ匂いがするに、アズールは悪い気がしなかった。むしろ同じ香りを纏ってふんわり笑ったに、またしても心臓が鷲掴みされる感覚。アズールは「残り少ないですが、差し上げます」と瓶ごとに渡した。それを「嬉しい。ありがとうございます」とまたしても笑顔のに、アズールは「グッ……」と小さく呻いた。なぜそんな呻き声が自分から出るのか、アズールは皆目見当もつかなかった。アズールは陸に上がって2年目。しかもここは男子校。今までだっていじめてきた奴らを見返すべく努力に努力を重ねていて、そういうことに関心を向ける暇なんてなかった。アズールは恋愛初心者どころか、恋愛赤ちゃんだった。
***
「それで、対価に何を得たんです」
楽しそうなジェイドの声に、アズールは固まった。そういえば、対価を要求するのを忘れていた。察しの良いジェイドは「おやおや、まさか対価も無しにコロンを差し上げたんですか?」と首を傾げた。「あのアズールが?」とでも言いたげに。
コロンを渡した後、は用事があるからと閉店を待たずに帰った。アズールはどうにか引き止めたかったが「次の一般開放日に来ますね」と笑顔のに、「ぜひ、お待ちしています」と返しただけだった。どうにもの笑顔に弱いな、とアズールは肩を落とした。あの笑顔で話されると、アズールの心臓は煩くなる。
「うるさいですね。残り少ないものだったので差し上げたまでです。僕は慈悲深いので」
早口でそう言ったアズールに、これは面白いことになりそうだなとジェイドは笑った。悪どい笑顔である。
次の一般開放日、は宣言通り来店した。前回とは違う男を連れて。笑顔で何かを男に話しかける。それを見たアズールは、苛立ちを覚えた。
「さん、ようこそいらっしゃいました」
笑顔で出迎えながら、なぜ苛立つのかアズールは考える。が自分以外の男といるのが気に食わない、その笑顔を他の誰かに向けるのが気に食わない。けれどなぜそう感じるのかわからない。だってアズールは恋愛赤ちゃんだから。
「こんにちは、アズールさん」
「はい、こんにちは。先日差し上げたコロンはいかがでしたか?」
二人を席に案内しながら、アズールは話しかける。は「効果抜群でした。今は全く私に近寄って来ません」と嬉しそうに話した。
注文した料理を運んできたアズールとはまた少し会話をした。楽しそうに話す二人に、男は面白くなさそうな顔をする。「ごゆっくりお過ごしください」とアズールが去っていったところで、男は「随分仲が良いんだね」と刺のある声でに言った。は「そうかしら」と一言。それから食事に手をつける。本日のおすすめ、イカ墨のタリオリーニ。それを一口食べて、はフォークを置いた。
「これ、美味しくないわ」
同じものを食べている男は「そうかな。美味しいよ」と返したが、はいつかと同じく「美味しくないったら美味しくないのよ!」と声を荒げた。それからあの日と同じく「あなたのセンスって最低」と男を貶した。それに「なんだと!」と男も声を荒げる。「調子に乗りやがって!」男の手がに振りかざされる。それを寸でのところでアズールが止めた。
「お客様、ここは紳士の社交場です。当店ではいかなる揉め事も認めません」
ギリギリ、ミシミシ、以前の男と同じような悲鳴が聞こえる。「なっ、離せ!僕は客だぞ?!」と騒ぐ男にアズールは溜息を吐くと「ジェイド、フロイド、お客様のお帰りです!」とここからつまみ出すように声を掛けた。二人は「はい」「はぁ~い」とまだ騒ぐ男を引きずって店の外へ出て行った。
「あなた、変な男にばかり捕まりますね」
は「ごめんなさい……。助けてくれてありがとうございます」と頭を下げた。アズールはの腕を掴んで立ち上がらせると「奥にご案内します」と笑みを浮かべた。二度も問題を起こしてくれたのだ、責任取ってもらうぞ、にはそんな副音声が聞こえた。「それが美味しくない理由も聞きたいですし」、テーブルに残された料理を一瞥したアズールは言う。は「……ごめんなさい」と呟いた。
「それで、あの彼とはどういうご関係で?」
以前と同じくの向かいに座ったアズールは問う。はそれに「同学年の人です。クラスは違うけど」と答えた。それから以前の男と同じような状況だと話す。告白されて断ったが一度だけデートしてくれと言われ連れて来られた、と。
「アズールさんとのお喋りが楽しかったから、また話したいなと思って」
だから本当は今日は一人で来るはずだったのだと、は眉を下げて笑う。その言葉に、アズールの心臓はまたしても煩くなる。おかしい、やはり何かのユニーク魔法なのではないか、とアズールは考えた。しかしそうならに直接聞くしかない。けれど素直に話すだろうか。悶々と考え、アズールは「僕は、あなたと話していると心臓が煩くなるんです」と素直に話し出す。交渉の場において、下手に出た方が有利なときもあることを優秀なアズールは知っている。今は交渉の場ではないけれど。
「さんが笑うと、胸が締め付けられる感じがするんです。あなたの笑顔を見ると何でも聞いてあげたくなる。あなたがあの男と店に来たときは何故か苛立ちました。あなたがあの男に笑顔で話しているのを見て、イライラしたんです。あなたが僕以外の男に笑顔を向けるのが気に食わない」
「あなたのユニーク魔法ですか」、アズールがを見つめる。が「それは、」と口を開きかけたときだった。バーンと勢いよく扉が開く。
「それは恋だよ、アズール!」
元気に笑いながらそう言ったフロイドの隣でジェイドが「おやおや、すぐ教えてしまっては面白くないですよ、フロイド」と笑っている。
こい、コイ、鯉、故意、虎威。
「…………恋?!」
アズールは叫んだ。
***
「恋っていうのはぁ~、相手がキラキラして見えてぇ~他の奴と話してるだけでもイラついてぇ~その人のことが知りたくなったり、大事にしたいとか一緒にいたいなぁって思うことだよぉ」
「さんが他の男に笑顔を向けていて苛立ったのは嫉妬ですよ、アズール」
「……お前たち随分詳しいんですね」
の両脇に腰掛けたジェイドとフロイドがつらつらと恋とは何かを語る。フロイドが「小エビちゃんが読んでた少女漫画に書いてあった~」と愉快に笑っている。そうか、恋、なるほど、これが恋と自覚したアズールは、何だか余計にが可愛く見えた。は二人に挟まれて若干戸惑っている。アズールはハッとして「ていうか何でお前たちそこに座ってるんです?!」と突っ込んだ。
「店の閉店作業を終えて疲れている僕たちに、随分な言い草じゃないですか。ねえ、さん」
「そーそー。アズールがずーっとちゃんとお喋りしてるから、オレたちだけで終わらせたのにさぁ。ねー、ちゃん」
は更に戸惑った。助けを求めるかのようにアズールを見る。アズールは立ち上がるとの腕を引き、自分の隣に座らせた。ジェイドが「おやおや」と笑う。アズールの隣に座ったは、頬を赤らめて「……あの、アズールさん」と話しかけた。アズールは「何ですか」と少し苛立った声で返す。こちとら今あなたを好きだと自覚したばかりなのだ、どうやって手に入れるか考えなければならないのに、そんなことを考えていたアズールの頭の回転は止まった。そう、アズールは今、まさに今自覚した。が好きだと。そのは今、隣にいる。アズールはブリキの玩具のごとく首を動かしてを見る。
「アズールさん、私が好きなんですか?」
コテン、と首を傾げたに、アズールは真っ赤な顔で「違っ、いや、違いませんけど、いや、あの、」としどろもどろになった。普段のアズールからは想像出来ない慌てっぷりに、「アズール茹でダコみてぇ」とフロイドが笑う。
「あの、私もアズールさんのこと好きですよ」
の笑顔とその言葉に、アズールは気絶した。
数時間後、目を覚ましたアズールが一番に見たのはの顔だった。アズールの顔を覗き込むようにして見ていたは、アズールが目を開けたのを確認して「ジェイドさん、アズールさん起きましたよ」と優雅に紅茶を飲んでいるジェイドに声をかけた。「あぁ、よかったです。アズールも無事だったことですし、さんもこちらで一緒に紅茶いかがですか」、ジェイドがを誘う。それを見て勢いよく起き上がったアズールは「さんっ」と慌てての服の裾を掴んだ。そうだ、自分はが好きなのだ、ならばきちんとそう伝えなくては、誰かに取られてしまう前に。「僕、あなたが」、好きなんです。そう続けられるはずだった言葉は「お待たせー!」と上機嫌なフロイドの声に消された。アズールは内心で舌打ちをした。
「はいこれ、今日の食材の余りで作ったやつ」
アズールが気絶している間、昼食をろくに食べていないの腹の虫が鳴り、面白いアズールを見せてくれたお礼だとフロイドが軽食を作ることになった。アズールが目覚めたところで、タイミング良く、いやアズールにとっては良くないが、軽食が完成。余り物で作ったとは思えない料理がの前に置かれた。それを見たアズールの腹の虫も鳴った。アズールもまだ昼食を取っていなかった。フロイドは「ちゃんの分しか作ってないよ」、食べたければ自分でやれとジェイドの隣に座った。
「……これ食べますか?」
おずおずと皿を差し出そうとしたを、アズールは「いえ、大丈夫です」と制した。それから「フロイドがあなたのために作ったんですから、あなたが食べなくてどうするんです」と言う。はそれに気まずそうな顔を浮かべる。そういえば、味がわからないと言っていたな、とアズールは思い出した。でもそれは味覚障害ではない。ていうかそれを追求するためにをここに連れて来たのに、とアズールは本来の目的を思い出したが、アズールの中で一つの仮説が浮かぶ。あの日見つけられなかった答えが見つかる気がしたアズールは「ちょっと待っててください」と厨房へ向かい、自分の昼食を用意しての隣に座った。
「一緒に食べても?」
にそう訊けば、は「はい」と頷いた。それから二人揃って「いただきます」と手を合わせ、各々の料理を口に含む。
味がわからない、というのは恐らく甘いとか苦いとか、そういうのがわからない訳ではないのだろう、とアズールは考えた。はいつも「美味しくない」と言っていた。人というのは自分の感情で味覚の変わる生き物だ。感情と味覚には密接な関係があると考えられている。アズールはそれを陸に上がり、陸の料理を勉強しているときに知った。と食事を共にしていたのは、を一方的に好きな男。それも人として良い分類には入らないような、そんな男。好きでもないそんな男と食事を共にして、美味しいと感じるわけがないのだ。けれど今一緒に食事をしているアズールは違う。だっても、初めてモストロ・ラウンジに来たとき、アズールに助けてもらったときにはもうアズールに恋をしていたのだから。
「美味しいですか?」
アズールが優しい笑みでに問う。の目から大粒の涙が溢れた。それに驚いたのはアズールだけではなかった。「美味しくない?!嫌いなもんでもあった?!」、わたわたと慌てるフロイドに、意外と女性には優しいんだよなとアズールは思いながら「すみません泣かせるつもりはなくて」とハンカチを差し出した。隣のジェイドだけは「おやおや」といつもの笑みを浮かべている。は「ちが、あの、……ちがくて」、差し出されたハンカチを素直に受け取りながら言う。「美味しいんです」と。
「美味しいです、すごく」
***
食事を終えた後、アズールは今度こそきちんと伝えようと意気込んだ。初めての恋、初めての告白。フラれないことがわかっているとはいえ、アズールは柄にもなく緊張していた。「ごちそうさまでした」とが手を合わせたのを合図に、アズールは「さん」と上擦った声でへ身体を向けた。も同じように「はい」とアズールに身体を向ける。
「僕、さんが好きです」
「付き合ってくれますか?」、ドクドクと煩い心臓に気付かれないよう、アズールは努めて冷静に言った。は嬉しそうに「はい。私も好きです」と笑う。アズールは心の中でガッツポーズしたしの笑顔を脳内に焼き付けた。向かいで双子が「よかったねぇ、アズール」「おめでとうございます、アズール」と拍手している。そういえばこいつら居たんだった、とアズールは今更赤面した。そんなアズールに、が「あの、でも……」と不安気な声を出す。
「どうかしましたか?」
「いえ……、えっと、……」
歯切れの悪いに、アズールは「何か言いたいことでも?」とそれはもう優しい声で聞いた。ジェイドもフロイドも目の前のアズールは本当にアズールなのかと疑うほどに優しい。
「……いえ、忘れてください」
目を逸らしながらそう言ったに、アズールはいつかと他愛もない話をしたときを思い出す。何か隠しているなと察したアズールは「遠慮せず何でも仰ってください。僕たちは恋人なんですから」との手を取った。アズールは恋愛赤ちゃんだったが、自覚してしまえば何てことなかった。むしろ良い彼氏である。けれどは「う……」と渋っている。アズールはどうしたものか、と考えた末「ジェイド、さんとお話ししてくださいますか」とジェイドに顔を向けた。それに不思議な顔をする、「いいんですか?」と珍しく笑顔が消えたジェイド。アズールは「構いません」との隣から退いた。好きな人のことは何でも知っておきたい、隠されると暴きたくなる、それがアズール。暴くのが自分ではないのは気に食わないが、元々そうするつもりだったのだしまぁいいだろう、との隣に座るようジェイドに促した。顔中にはてなマークを浮かべたに、アズールがジェイドのユニーク魔法について説明する。それはアズールなりの、せめてもの罪滅ぼしみたいなものだった。
説明を聞き終えたの頭の中では天秤が揺れていた。片方には「隠していることを話すリスク」、もう片方には「ユニーク魔法を受けるなんて面白そう」。ぐらぐらぐらぐら、揺れている。数十分悩んだ末、天秤は「面白そう」に傾いた。は「ぜひ!どうぞ」、子供のようにはしゃいでジェイドを見た。は好奇心が旺盛だった。「ちゃんおもしれぇ~」フロイドがゲラゲラ笑っている。
と目を合わせたジェイドは詠唱の後に「あなたは何を隠しているんですか?」と問うた。の頭はその質問でいっぱいになる。隠していること、知られたくない秘密。は幼い頃のことを思い出す。
「私……、私は……」
アズールもジェイドもフロイドも、静かにの言葉を待った。アズールは、どんな秘密を隠していようと、もうを手放す気はなかった。
「スラムで生まれ育ちました」
スラム、という単語にアズールが一瞬眉を上げた。スラムで生まれ育った者は、基本的に闘争心が強い。日々死なないために奪うか奪われるか、そういう生活を強いられる。それ故か気性の荒い者も多かった。しかし目の前のは、全くそんなふうには見えない。むしろスラム育ちとは思えない言葉遣いに、食器の扱い方をしていた、とアズールは食事をするを思い出す。その後続けられた「そのせいで馬鹿にされるのが悔しくて、いろんなことを学びました」という言葉に、アズールは納得した。言葉遣いも、美しい所作も、全てが努力で手に入れたのだ、と。
「でも自信がないんです。だから、私、アズールさんに釣り合わない」
それがの隠していたこと、の本音だった。
アズールは馬鹿にされることの悔しさも、努力を続ける大変さも、自信を持てない不安も、全部知っている。だってアズールも同じだったのだから。なんて可愛くてなんていじらしいのだろう。の隣のジェイドを退かす暇さえ惜しくて、アズールはを後ろから抱きしめた。するり、との頬をアズールの両手が包む。「あなた、可愛いですね」、の顔を上に向かせたアズールは大変上機嫌だった。
「さんがどこの生まれだろうと関係ありません。釣り合うとか釣り合わないとか、そんなこと気にしないでください。僕は、あなたが好きなんですから」
の目には涙が溜まっていく。スラムで生まれ育ち、日々生きるか死ぬかの選択を迫られていたは、自分の居場所を探していた。奪い合わなくても良い場所を、安心できる場所を。誰かの温もりを。
アズールはの涙をそっと拭い、の顔から手を離すと跪いた。「僕と、お付き合いしていただけますか」、アズールが微笑む。は目を潤ませながらも、笑顔で「はい」と返した。こうして二人は晴れて恋人になった。そんな二人を見守っていた双子は「こういうときはオセキハン炊くって少女漫画に描いてあった~」「オセキハン、初めて聞きますね。後で調べてみましょう」なんて話をしていた。
そしてこれから好奇心旺盛で自由奔放なに振り回されるアズールの日々が始まるのだった。
20200809(20210405 加筆修正)