七、あの日のアウイナイト

 父が亡くなった翌年、母も亡くなった。事故や病気ではなく、寿命を迎えて死んだ二人の骨を、わたしは粉々にして海へと撒いた。
 波の音だけが鼓膜を刺激する、静かな夜だった。母の葬儀を終えたばかりで、わたしは少し疲れていた。



 わたしの隣に立ったのはムルだった。ムルは「きみの母親は良い人だった」と暗い海を見ながら言う。ムルが母の葬式に来たのは意外だった。

「ムルの言う良い人って、どういう意味?」
「そのままの意味さ。旦那様も、奥様も、きみを愛していただろう。自分の子供であろうと、魔法使いを心底愛する親はそう多くない。けれどきみの両親は魔女であるきみを受け入れて、自分たちの持つ技術を惜しみなく授け、天寿を全うした」
「そうね」
「両親を亡くすって、どんな気持ち?」

 ムルは好きなものや興味のあることに一直線で、計り知れない熱を持っている。わたしはムルのそういうところが好ましくもあり、同時に恐ろしくもあった。

「教えて、。大好きで大切で、自分を愛してくれていた存在が亡くなって、きみは何を思う? 愛した二人の骨を海に撒いたのは楽しかった?」
「……ムル」
「それとも悲しかった? きみの実家が失くなっていたね。燃やした? 楽しい思い出がある場所へ帰るのは辛いから? 納骨せず海に撒いたのは形あるものを残したくなかったから? 形あるものが残っているとそれに縋ってしまいそうでこわいから?」
「あなた、何しに来たの」
「もう自分を愛してくれる誰かがいないのは、恐ろしい?」

 反射だった。気が付いたらムルの頬を引っ叩いていた。乾いた音が静かな海に響く。ムルは笑っていた。楽しげに。興味深い発見をしたとき、ムルはいつも笑う。その笑った顔が、余計にわたしを苛つかせた。
 わたしは両親が周りの人間たちから、良くないことを言われていたのを知っていたし、石を投げられる両親を見たことだってあった。不気味な魔女の親、魔女を育てるなんて正気じゃない。そのうち子供を捨てる。そういう噂をたくさん聞いた。けれど両親はそんな噂なんて知らないふりをして、わたしを最後まで育ててくれた。二人の子供として愛してくれた。
 わたしは呪文を唱えると、アウイナイトの指輪を手にする。自分のために作ったものだったそれを、ムルの手首を掴んで、無理矢理ムルの指に嵌めた。
 ムルはそれを月に翳して「相変わらず、きみの技術は素晴らしいね」と笑う。わたしはその声を無視して、もう一度呪文を唱えた。

「っ……あ、……っ……」
「わたしが今どんな気持ちか、教えてあげるわ」

 自分のために作った、呪いの指輪。嵌めた者を破滅へ導く指輪だった。

「あ、……あ、……」
「苦しいでしょう。辛いでしょう。そうよ、あなたの言う通りよ。わたしは恐ろしくて堪らない。この先の永い時間を、一人で生きなければならないのかと思うと、こわくてこわくて堪らないの。だってわたしを愛してくれる人を、父と母以外に知らないもの。それとも、あなた、わたしを愛してくれる?」

 その場に蹲ったムルは、わたしを見上げて笑う。ムルが呪文を唱えると、指輪が粉々に砕け散った。まるでお前の呪いは弱すぎる、とでも言いたげに。

「俺に愛されたい?」

 そう言ってムルは立ち上がった。わたしは砕け散った指輪だったものを、ただ見つめることしか出来なかった。

「だからきみは、あの日俺が選んだプレナイトを外せずにいるんだ」

 わたしはムルを睨み付けた。図星だった。ムルの言うことは、いつだって、何だって、全部正しい。
「いじらしいね」とムルがわたしの耳に触れる。視界の端で、イヤリングが揺れて、輝く。
 人の心に勝手に土足で入り込んでくる。最低で、倫理観のない男。それでもわたしは、この男に愛されたかった。