最近は結婚指輪のオーダーが多いなと、届いた依頼を確認しながら思う。各地で結婚ブームでも起きているのだろうか。
これは受ける、これは断る。そうやって依頼を分けていると、来客を知らせる鐘が鳴った。
わたしは自分の店を持っていない。だから住居兼アトリエのここに、直接依頼しに来る人も少なくなかった。
お客さんかなと玄関の扉を開けた。開けて良かったが半分、開けなければ良かったが半分。
「そんなに露骨に嫌な顔をなさらないで」
「わー! すごい、キラキラがいっぱいだぁ」
するりと部屋の中へ入ったムルに、わたしは慌てて「ムル!」と大声を出した。ムルは今にも回り出しそうな身体をこちらに向ける。
「暴れないで、勝手に触らないで。全部わたしの商売道具なの」
高価な宝石や、作りかけのものだって置いてある。苦労して買い付けた物もたくさん。大切な物だとわかってもらうために、わたしは諭すようにムルに言った。
ムルは一瞬首を傾げた後「わかった!」と言って宝石の並んだケースを漁ろうとした。わかってないじゃん!
「……シャイロック」
「ムル、勝手に触らないように。に許可を取ってくださいね」
「わかった! 、これ見ていい?」
「見るだけ。開けちゃダメだよ」
「うん!」と元気に頷いたムルが宝石に夢中になる。
わたしは溜め息を吐いてシャイロックに座るように促した。シャイロックは腰掛けると「随分お断りしているんですね」と、二人が来るまで見ていた依頼書の束に目を向けた。
「ええ。まあ……、わたしも歳だから」
「私やムルとそう変わらないじゃありませんか」
「あなたたちが元気過ぎるのよ。それより何の用?」
「いえ、特に用事はありませんよ。近くまで来たので寄っただけです」
「ああ、そう。見ての通りわたしまだ仕事が残ってるの」
「指輪の依頼が多いんですねえ」
言外に帰れと言ったのだけど、どうやらシャイロックには伝わらなかったらしい。
わたしはまだ目を通していない依頼書を見ながら「最近増えたのよ。結婚ブームかしら」と返した。
「、ご自分の噂を知らないのですか?」
「噂?」
「あなたにエンゲージリングやマリッジリングを作って貰うと永遠に幸せになれるっていう噂があるんですよ」
知らなかった。一体どこの誰がそんな噂を流したのか知らないけれど、根拠なんてないのだからやめてほしい。作ったものにはそういうまじないの類もかけていないし、普通の指輪だ。でも悪い噂ではないだけいいか。
「永遠ねぇ……」と呟いたわたしに、シャイロックが「思い出しました」とわざとらしく手を打った。
「先日の答えを聞いていません」
「それが今日の用事です」と笑うシャイロックに、わたしは慌ててムルを呼んだ。「なに?」と首を傾げるムルの手を取って、窓を開ける。
「シャイロックと追いかけっこだよ!」
そう言って二人で窓から飛び出した。
「あはは! 楽しそう! エアニュー・ランブル!」
ムルが箒を出すとわたしを後ろに乗せた。「ムル、海まで行って!」、ムルがそれに返事をすると、ぐんぐん上へ昇っていく。
窓枠に手をかけたシャイロックが何か言っているけれど、わたしはその声を遮って「シャイロック!」と叫ぶ。
「あの日キスしたこと、謝らないから!」
日が暮れて街はすっかり闇に覆われていた。わたしは楽しそうに飛ぶムルに声をかける。ムルは「なに?」とわたしを振り返らずに言う。
シャイロックに貰った小瓶の中身を咥えて、ムルの頭を掴む。無理矢理こちらを向かされたムルが「わ」と声を上げたけれど、ムルの声はすぐにわたしの唇に飲み込まれた。
「……、ん、……飲み込んで」
「ん」
「ねえ、ムル。わたしのこと好き?」
ムルの飛行が不安定になって、体勢を崩したわたしたちはそのまま落下していく。
ムルは「好きだよ!」と楽しそうに笑った。ムルがわたしに好きだと言ったのは初めてだった。
わたしはムルに手を伸ばそうとして、引っ込めて、二人で仲良く海に落っこちた。
「あはは! びしょびしょ」
「風邪引いちゃうね」
「このまま帰ったらシャイロックに怒られるかも」
「慣れてるでしょ、怒られるの。あなたは人を怒らせる天才だもの」
「、あの日怒ってた」
「あの日って?」
「奥様が死んだ日!」
波の音だけが鼓膜を刺激する、静かな夜にはあまりにも似つかわしくない明るい声だった。ムルの言うことは、いつだって、何だって、全部正しい。
わたしは何も言えなかった。何を言っていいのかもわからなかった。バシャバシャと駆け回るムルを、ただ見ていることしか出来なかった。
「見て! 月がこんなに近い!」
「もおいで」とムルがわたしの腕を引っ張った。けれどムルの方へは行けず、わたしはその場で立ち止まる。反対の腕を引かれたからだ。
「シャイロック! 見つかっちゃった」とムルはわたしから手を離して、また駆け出した。
「何でそんなに濡れているんですか」
「二人で海に落っこちちゃった」
「はぁ……。世話が焼けますね。インヴィーベル」
「わ、ありがとう。でも乾かすくらい自分で出来るわ」
「おや、可愛くないお口。塞いであげましょうか」
「……あの夜わたしがしたみたいに?」
「ええ。あの夜のあなたみたいに」
レッドブラウンの瞳がわたしを覗き込む。唇が触れそうなくらい近い。けれどわたしには慰めのキスなんて必要なかった。本当はシャイロックにも、もう必要なかったのかもしれない。
「あの欠片、偽物でしょう」
「よくわかりましたね」
「小瓶に魔法がかかっていなかったから。愛着の強いあなたのことだもの、ムルが勝手に実体化しないように鍵くらいかけるはずだわ」
「ふふ。よくわかってるじゃないですか」
「あーあ。もう一度だけ、前のムルに会いたかったな」
月に照らされながらはしゃいでいるムルを見てそう溢した。シャイロックが「永遠って、まさか……」と呟く。
──変わらないものなんてないんだよ
わかってる。永遠なんてどこにもない。それでも求めずにはいられなかった。
誰かに、あの月に連れて行かれてしまうくらいなら、永遠にしてしまいたかった。一緒に、永遠になってしまいたかったのに。
「本当に、どこまでも憎らしいわ。あなたも、ムルも」