誰にだって不安で眠れない夜とか、得体の知れない恐怖に押し潰されそうなときとか、そういうのがあると思う。目の前の、恐怖とは無縁に見える男が、そんな顔をしてホットミルクを飲んでいるのが滑稽だった。
熱かったそれはすっかり冷めてしまったらしく、フィガロは残りの半分を一気に飲み干した。昔、荒れたフィガロが酒を飲んでいるところを見たことがあるけれど、そんな感じだ。
「おかわり。ミルクティーが良い」
「フィガロちゃんはわがままですねえ」
「……うるさいな。いいだろ」
「ブランデー入れる?」
「入れる」
深夜に急に訪ねてきたかと思えば、何も言わず家に上がり込んできた。それから「温かいものが飲みたい」と言ってソファに腰掛けた。今更その図々しさを指摘する気にもなれず、フィガロのためにホットミルクを淹れてあげた。
ミルクティーを淹れている間、フィガロはソファの肘掛けに頭を預けて私を見ていた。「あんまり見られるとやりづらい」と言えば、何も言わずに窓の外へ目を向けた。いつもならここで余計な一言や二言が飛んでくるのに。変なフィガロ。
「はい。ブランデーは好きなだけどうぞ」
そう言って瓶ごと渡せば、フィガロは甘えるように「入れて」と言った。まだ窓の外を見たまま。
仕方ないなあ、と思いながら、ティースプーンに二杯ほど入れた。こちらに視線を戻したフィガロが「もっと」と呟いた。私はそれに返事をしながら、もう一杯入れた。
「もっと」
「まだ入れるの?」
「好きなだけどうぞって言ったのは
だろ」
「そうだけどさあ。じゃああと二杯入れよう」
「三杯にして」
「えー、本当に今日はわがままだねぇ、フィガロちゃん」
揶揄うようにそう言って、フィガロの要望通りブランデーが六杯入ったミルクティーを差し出した。それを受け取ったフィガロは「
はどこまで俺のわがまま聞いてくれるんだろうって」と、眉を下げて笑う。
こんな深夜にどうしたのだろうと思ったけれど、ただ寂しかっただけなのだと私は気付く。でもフィガロは本当に寂しいとき、それを言わない。
魔法使いは長命故に孤独だ。誰かを愛することも、愛されることもあるけれど、本当はずっと独りだ。私も長く生きているから、愛を貰うことも、与えることもあったけれど、きっとフィガロは与えたことがないのだろう。あったとしても、信仰心のある人間に返すだけとか、求められたら与えるとか、それだけ。無条件に、臆することなく、心の底から誰かを愛したことがないのだ。それを拒絶されるのがこわいから。そんなもの愛じゃないって言われるのがこわいから。
「フィガロのわがままなら、何だって聞いてあげるよ」
「ずっとそうだったでしょ」と、私も自分のミルクティーに口をつけた。ブランデーは入れていない。お酒を飲むと、少量でもどうしても愉快な気分になってしまって朝まで寝付けず、それにフィガロを付き合わせてしまいそうだから。でも、フィガロには優しい夢が必要だから、そのままソファで寝てしまっても、そうなったときに毛布をかけてあげられるように。
「そうだったね。……
と話してたら眠くなってきちゃった」
「じゃあもうおやすみ」
「一緒に寝てくれないの?」
「一緒に寝てほしいの?」
「いいや。そこまでわがまま言わないよ」
「ミルクティー、ありがとう」とフィガロは目を閉じた。数秒で寝入ったらしく、もしかしてここ最近あまり良い睡眠が取れていなかったのだろうかと考える。そっと毛布を掛けながら「おやすみ」と囁いた。どうか優しい夢を見られますように。
寂しがりなくせにそれを言えない、臆病なフィガロ。一言、寂しいからそばにいてと言えばいいのに。本当に言ってほしいわがままを、絶対に言わないのだ。フィガロがそう言うのなら、私はずっと傍にいると約束するのに。
(おやすみ)