今の状況を冷静に考えてみよう、と深呼吸した。目の前には数種類のカレー。それもスパイスから作った本格的なやつ。ほかほかと湯気が立ち昇るナン。私はその美味しそうな料理たちに、ごくりと唾を飲み込んだ。
「食べないんですか?」
彩り鮮やかなサラダをテーブルに置きながらジャミルくんが言う。「嫌いなものでもありましたか?」と不安そうに私の顔を覗き込んだジャミルくんに、反射的に身体を引っ込めた。「いえ……カレーは好きだけど……」と歯切れ悪く返す私に、「ならよかった。遠慮せず食べてください」とジャミルくんが笑う。その笑顔が怖くてたまらない。
休日の今日、学園付近の店に用事があった。用事を済ませ、折角近くまで来たのだから、と学園に通う弟の様子を見に来たのだ。少し様子を見てすぐに帰ろうと、入校許可を貰い、その辺を歩いていた生徒に声を掛ければ、弟がどこに居るのかはすぐに分かった。飛行術の補習を受けているらしい弟のところへ向かえば、弟の隣にもう一人、長髪の男の子が居た。いじめられっ子だった弟にも友達が出来たのか、と感動しつつ様子を眺めていたら、長髪の子が私の視線に気付いたらしく、一生懸命飛ぼうとしている私の弟、アズールに何か耳打ちする。それからこちらに目をやったアズールは「姉さん!?」と驚いた顔をしていた。二人の側に寄って、近くまで来たから様子を見に来たことを伝えれば、アズールは嬉しいような今日は止めて欲しかったとでも言うような、複雑な顔をしていた。多分、補習を受けているところなんて見られたくなかったのだろう。相変わらずだな、と思っていればアズールが長髪の子を紹介してくれた。名前はジャミルくん、アズールの友達らしい。「僕の友人です」と言ったアズールに、ジャミルくんが人好きのする笑顔で自己紹介してくれた。いい子そうな子で良かった。
少し話をして、あまり邪魔してはいけないし、と帰ろうとすればアズールから「もう終わるところなんです。よければ昼食を食べて行きませんか?」とお誘い。可愛い弟からのお誘いを断れる姉さんではないので、二つ返事で了承した。その後続けられた「ジャミルさんも一緒に」の言葉に「いや、俺はいいよ。姉弟水入らずを邪魔するのも悪いから」とジャミルくんは断った。アズールのお友達なら話を聞きたかったな、残念、と思っていればアズールが寮長を務めるオクタヴィネル寮で生徒同士が喧嘩しているらしく、アズールは急遽そちらへ行くことになった。仕方ない、やっぱり帰るかと二人に別れを告げようとしたところで、アズールから「ジャミルさんの作る料理は美味しいですからご馳走になったらどうですか?」と提案。ジャミルくんは「はぁ?!」と声をあげたが、その後すぐに「いや……。
さんがよければ」と先程と同じ人好きのする笑みを浮かべた。アズールはジャミルくんに「姉さんは舌が肥えてますから中途半端なものじゃ満足しませんよ」という余計な一言を残して寮へ向かった。
そんなアズールの言葉に火がついたのか、ジャミルくんはそりゃあもう美味しそうなカレーを振る舞ってくれている、というわけだ。しかし私はここに来るまでの道中でジャミルくんの心の内を知ってしまった。段差に躓いた私の腕を咄嗟に掴んでくれたジャミルくん、そのとき私の脳内に流れた言葉の数々。私のユニーク魔法は、私に触れた相手の心の内がわかるという何とも便利な魔法なのである。私から触れるのではなく、相手から私に触れないとわからないところは不便だけど。勿論そんなこと知らないジャミルくんは、友人の姉を助けるべく手を貸してくれたわけだけど、心の内はそんな優しいものじゃなかった。いい子そうだと思ったけれど、前言撤回。アズールが友人だと言うだけあるな、この子。
そんなわけでジャミルくんの心の内を知った今、ジャミルくんの笑顔が恐ろしい。でも折角作ってくれたのだし、食べないのも悪いし、と手近にあったキーマカレーに手をつけた。
「……美味しい!」
アズールの言っていた通り私は舌が肥えている自覚がある。それは小さい頃から良いものばかり食べてきたから仕方ないのだ。いくら見た目が良くても味が悪ければ満足できない、と思っていたけれど、ジャミルくんの作ったご飯はとても美味しかった。私は美味しい、美味しい、とカレーにナンにサラダに、と手をつけていく。ジャミルくんは「気に入ったみたいで良かった」と笑った。
「ごちそうさまでした」と笑顔の私と、空になった皿を見て驚いた顔が隠せていないジャミルくんに、私は「所詮は学生の作った程度の毒なら効かないよ」と笑顔のまま言った。本当に、今時の学生は笑顔で毒を盛ってくるのだから恐ろしい。私の言葉に更に驚いた顔をするジャミルくんに、昔私のご飯に薬を混ぜてそれがバレたときのアズールの顔を思い出す。
「アズールの弱味でも握ろうと思ってたんでしょ?」
「何のことですか?」
「その猫被り、アズールそっくり。まぁアズールはジャミルくんより子供っぽいけど」
ケラケラと笑う私に、ジャミルくんは溜息を吐くと「いつから気付いてたんですか?」と問う。正直に答えても良かったけど、ユニーク魔法のことはあまり喋りたくないし、効かないとはいえ毒を盛られて良い気分ではないので「秘密」と返しておいた。
「本当に美味しかったよ、ごちそうさま」と帰ろうとすれば、ジャミルくんの連絡先を渡された。「また食べたかったらいつでもどうぞ」と口説き文句付きで。
盛られたのは毒ではなく恐らく変身薬の一種だったのだろうと、私は帰ってすぐに風呂に水を溜めた。服に隠れた部分の一部が戻っていたのだ。アズールの友人だけあって、随分と優秀な子らしい。まぁ、明日にはきっと元通りになるだろう、と浴槽に浸かった。
掴めよ胃袋、狙うは心