※死


ナイトレイブンカレッジには学園○不思議がある。○には7とか8とか数字が入るが、毎年増えたり減ったりしているのでピッタリ当て嵌まる数字が無い。今年は6だか7だか8だか、まあそれくらい。これはその学園○不思議のひとつ、スカラビア寮の幽霊の話───。


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「おはよう。気分はどうだ?」

目を開けたに、ジャミルは優しく問いかける。起き上がろうとするの背中を支えるジャミルに、は「大丈夫。なんだかとても甘い香りがするわ」と言うと、ジャミルの胸に顔を寄せた。ジャミルは「寝る前に香を焚いたから、その匂いだろう」と返す。「嫌いだったか?」と少し不安な顔をするジャミルに、は笑う。「ううん。良い匂い」、のその言葉に、ジャミルは安堵したように息を吐いた。

「そういえば、最近部屋から出たか?」

の髪に指を通しながらジャミルが問う。はそれに、ふるふると首を横に振った。「どうして?」と不思議な顔をするに、ジャミルは「噂が出回っているんだ」と髪を撫でていた手を、頬に滑らせる。は「噂?」とその手に擦り寄った。

「スカラビア寮には女の子の幽霊がいるっていう噂」
「なあに、それ。私、知らない間に幽体離脱でもしたのかしら」

おかしそうに笑うの身体を、ジャミルはそっと寝かせた。「君なら出来そうだな」と言うと、の隣に寝転ぶ。「ジャミル、隈が出来ているわ」、心配そうにジャミルの目元をが撫でた。ジャミルは「最近少し忙しかったから」と目を閉じる。はそれに、一言「そう」と返すと、甘い声で囁いた。

「ゆっくりおやすみ、ジャミル」


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「他人の夢に干渉する薬ですか?」

昼休みも終わりに近付き、生徒がまばらになった食堂でジェイドは食器を片付けながら首を傾げた。「ああ。ジェイド、魔法薬学得意だったよな?」とジェイドの隣に立つカリムは笑みを浮かべた。

「ええ。得意ですよ」
「あれって簡単に作れるものなのか?」
「おや、その薬に関しては一年生の後半で習ったと思いますが」
「はは、オレ勉強は苦手でさ」
「ふふ、そうでしたね。簡単ではありませんが、難しくもないですよ」

材料さえ揃えれば、とジェイドは付け足す。ジェイドの言う通り、薬を作ることはそう難しくない。必要な材料を必要な分だけ混ぜて調合すれば作れる。魔力も然程必要なく、故に一年生の後半で学ぶ。カリムはジェイドの説明に礼を述べると「それって、服用した者に副作用は無いのか?」と重ねて訊ねた。

「数回程度の服用なら無いはずですが、服用し過ぎると夢から目覚めない、目覚めてもずっと夢というか、幻覚を見るようになる、などがありますね」

ジェイドがそう言い終えたと同時に予鈴が鳴る。カリムは改めて礼を述べると次は移動教室だから、と去っていった。ジェイドはその背中を見送って笑みを深める。カリムは何か隠している、ジェイドは直感した。


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「ウミヘビくん最近なんかあまぁい匂いすんね」

放課後、体育館の隅で休憩中のフロイドは顔を顰めた。原因は隣で部員同士のミニゲームを観戦しているジャミルだ。砂糖や蜂蜜などの甘いものを全て混ぜ込んだかのような、とてつもなく甘ったるい匂いだった。甘ったるすぎるその匂いが、鼻の良いフロイドの機嫌を損ねる理由だった。ジャミルは「あぁ。最近寝付きが悪くて香を焚いているから、それだろう」と返した。「へぇー。甘ったるくて鼻曲がりそう」とフロイドは更に顔を顰めた。話し込む二人の間に、ミニゲームを終えたエースが駆け寄って来る。「次、フロイド先輩の番ですよ」と言われ、フロイドはミニゲームに参加した。今日は身体を動かしたい気分だった。

「ジャミル先輩、なんか甘い匂いしません?」

フロイドと同じことを言われたジャミルは、フロイドに返した言葉をそのまま返した。寝付きが悪い、と聞いたエースは「もしかして、スカラビア寮のあの噂っすか?」と楽しそうに笑った。ジャミルは動き回る部員たちからエースへ顔を向けると「噂?」と首を傾げた。

「知らないんすか?スカラビア寮に女の子の幽霊が出るって」
「あぁ、あれか。誰に聞いたんだ?」
「同じクラスのスカラビア寮生が話してたんですよ。夜空き部屋から女の子が出てきたって」

学園○不思議の一つ、スカラビア寮の幽霊だ。スカラビア寮の寮長部屋───つまりカリムの部屋の隣は空き部屋である。空き部屋だが、いつも鍵が掛かっていて、誰も出入り出来ない。その空き部屋から、深夜に女の子が出てきた、そんな噂がジャミルが二年生になってから出回っていた。ナイトレイブンカレッジは男子校、女がいるはずがない。歴史ある学校故に、幽霊の類ではないのかと学園○不思議のひとつになったのだ。

「先輩、その幽霊見ちゃって眠れなかったのかと思って」

小馬鹿にしたように笑うエースに、ジャミルは「そんなわけないだろ」と返すと、また部員たちに視線を戻した。


***


「なぁ、ジャミル。話があるんだ」

夕食の時間だった。いつも笑顔で朗らかなカリムが、ジャミルに真面目な顔で言ったのを、寮生たちは何事だと見守っていた。ジャミルのオーバーブロットの件から、寮生たちは二人の関係を見守るのが癖になっていた。あの寮長が真面目な顔をしている、一体何が、きっと何か重要な話なんだろう、夕食を口にしながらも寮生たちは二人の動向を気にしていた。「なんだ?明日の宴の準備なら、」と口を開いたジャミルに、「いや宴の話じゃないんだ」とカリムは食事の手を止めた。

「もうあの薬を飲むのは止めてくれ」

ジャミルは手にしている食器を投げつけて、カリムの胸ぐらを掴んで、ふざけるなと言いたかった。寮生たちの手前、そんなことはせずただ静かに「その話なら後でカリムの部屋に行くよ」と返して、食事を再開した。怪訝な顔をする寮生たちに気付いたカリムは、「何でもないんだ。折角の夕飯なのに悪いな!気にしないでくれ」と声をかけた。いつもと変わらぬ寮長の笑顔に、寮生は安堵し食事を再開した。



「ジェイドに聞いたんだ。服用し続けると、夢から覚めなくなったり覚めても幻覚を見続けるって」

カリムの部屋で、ベッドに腰掛けたカリムは神妙な面持ちで話す。ジャミルは舌打ちをしたいのを抑えて、余計なことを教えたジェイドを恨んだ。
薬というのは副作用がある。どんなものであれ、服用者の身体に負担をかけることには変わりない。「他人の夢に干渉する薬」は、その名の通り他人の夢の中へ入れる薬だ。調合自体は難しくない、魔力も然程必要ない。けれど、与える魔力の量で「夢の中にいられる時間」が決まる。ジャミルは優秀だ。調合した魔法薬は「夢を見ている人が目覚めるまで」、つまり上限いっぱいのものだった。ジャミルはそれを日常的に服用していた。夢の中にいる時間が長ければ長いほど、服用者も夢を見ている者も負担が大きくなる。

「なぁ、ジャミル。もう終わりにしよう」

化粧で隠してはいるが、ジャミルの目の下に隈が出来ているのに、カリムは気付いていた。このまま服用し続ければ、ジャミルは正気でいられなくなる。主人としてではなく、一人の友人として、カリムはもう服用は止めるように言ったのだ。
ジャミルは沸々と腹の中に溜まっていく怒りを感じていた。カリムの胸ぐらを掴んで、そのお綺麗な顔を殴ってやりたかった。オーバーブロットの件もあるし、何より主人にそんなことを出来る立場では無いのを、ジャミルはよく理解している。ジャミルは怒鳴りつけたいのを我慢して、絞り出すように言った。

「夢でしか会えないのに、終わりになんか出来るわけないだろ」


***


甘い香りがする。砂糖を煮詰めたような、蜂蜜の中にいるような、そんな匂い。がそっと目を開ければ、ジャミルがの顔を覗き込んでいた。

「おはよう。気分はどうだ?」

起き上がろうとするの背中を支えながら、ジャミルが言う。は「大丈夫。甘い匂いがするね」と起き上がった。

「安眠効果のある香を焚いてみたんだ」

気に入らなかったか、と少し不安そうなジャミルに、が良い香りだと伝えればジャミルは安心したように息を吐いた。の手がそっとジャミルの頬に触れる。その手に擦り寄ったジャミルは「ん?」と優しく微笑んだ。「ジャミル、隈が酷くなっているわ」、が眉を下げた。「私のせいね」と目を伏せたに、ジャミルは否定の言葉を返す。

「君のせいじゃない」
「ううん。私のせいよ。私がいつまでもこんなだから」

の目から涙が溢れていた。「もう終わりにするべきなの」、そう言うの腕をジャミルは掴んで、柔らかなベッドに押し付けた。の涙は止まらない。ジャミルの頭の中には、カリムに言われた「もう終わりにしよう」という言葉が、響いていた。

「痛いよ、ジャミル」

溢れた涙を拭うことも出来ず、が言う。「痛い?痛いはずがない、だってここは……」、ここは、夢の中なのだから。痛みなんて感じないはずなのに、ジャミルの目の前のは、確かに痛がっている。「ねぇ、ジャミル」とがジャミルを見つめる。ジャミルはの口を塞いでしまいたいのに、身体が固まって、鉛のように重くなっていく。の腕からジャミルの手が外れたのを合図に、はすかさずジャミルを寝かせる。「私、ジャミルに幸せになってほしいの」、は慈しむようにジャミルの頬を撫でた。

「ジャミルが私を愛してくれて、とても幸せだったわ」

終わりが近付いている、ジャミルは薄々気が付いていた。最近は同じような夢ばかり見る。それは、脳が機能していないことを示している証拠だ。終わらせたくない、だってジャミルはずっとの傍にいたのだ。ジャミルはの口を、自分の耳を、塞いでしまいたかった。何も言わせたくなかったし、何も聞きたくなかったのに。ジャミルは意識が遠のいていく、否、覚醒していく感覚に目を閉じた。

「ゆっくりおやすみ、ジャミル」


***


朝日が眩しい。ジャミルは一度開いた目を閉じると、またゆっくりと開けた。自分の部屋ではないことに気付いたジャミルは、起き上がって辺りを見回した。あの空き部屋でもない、カリムの部屋だ。ジャミルが溜息を吐いたのと同時に、カリムが部屋の扉を開けた。「目が覚めたか?大丈夫か?」とジャミルの顔を覗き込むカリムに、ジャミルは平気だと伝えるとベッドから出て、淵に腰掛けた。

「ジャミル、三日も眠ってたんだぜ」

心配したんだからな、と言うカリムに、ジャミルは驚いた。三日。それは従者としてあるまじき失態だった。「お前、食事は」と慌てるジャミルに、カリムは「毒味は他に奴にして貰ったから大丈夫だ」と言うと、いつもの朗らかな笑顔ではなく、真顔でジャミルを見つめた。

「もうあの薬は飲むな」

これは命令だ、と告げるカリムに、ジャミルは素直に頷いた。罵詈雑言の一つや二つを覚悟していたカリムは、ジャミルの素直さに拍子抜けした。「いいのか……?」と不安そうなカリムに、ジャミルは「お前が言ったんだろ。主人の命令には逆らえない」と溜め息を吐いた。「それに、もう飲む必要もないだろ」と続けたジャミルに、カリムは泣きそうな顔をした。まだジャミルに伝えていないが、はジャミルが眠っている間に息を引き取った。

「もういないんだろ、
「……ああ」
「カリム、スカラビア寮の女の子の幽霊の話知ってるか?」
「あ、ああ。それが何だ?」
「あれ、俺が幻覚魔法で出したなんだ」
「え」
「俺たちと同じ歳のが動き回るのを見たかったんだ」

結局失敗したけどな、とジャミルは嘲り笑った。ジャミルは膝に乗せた片腕に頭を預ける。
ジャミルには“自分たちと同じ歳の”を映せなかった。想像はいくらでも出来たのに、いざ出力しようとすると幼い頃のまま、止まってしまう。夢の中では何度も同じ歳のに会ったのに。どうしても幼い頃のしか出せなかったのだ。

「……俺は、あの頃からずっとが好きだったんだ」

***


よくある話だ。はカリムの幼馴染みで、ジャミルとカリムと三人でよく遊んでいた。アジーム家程ではないにしろ、もそれなりの商家の娘だった。カリムと仲の良い商家の娘、それだけで命を狙われる理由になった。彼らが12歳になったばかりの頃、刺客に襲われたは頭を強く打った。それからの時間は止まった。の脳はごく一部だけ機能したまま、の身体は動かなくなった。所謂植物状態になったを、ジャミルは最初、ただ見つめて、手を握ることしか出来なかった。
転機が訪れたのは、ジャミルがナイトレイブンカレッジに入学してもうすぐ一年、という頃だった。ジャミルは「他人の夢に干渉できる薬」を学んだ。の脳はごく一部だが機能している。上手くいけば、の夢の中へ入れるのではないか、ジャミルはそう考えた。ホリデーで帰省した際、の家へ向かうと、実験を開始した。病院ではなく家で療養していたのはの家族の意向だった。
なぜ人が夢を見るかは、解明されていない部分が多く、成功すればラッキー、ジャミルはその程度に考えていた。実験は成功だった。「ジャミル?」と数年ぶりに聞いたの声に、ジャミルは嬉しくなった。もう話せないと思っていたと会話が出来る。ジャミルはそれから薬を服用するようになった。の家からの身体を持ち出すのは、ジャミルのユニーク魔法を使えば簡単だったし、を学園に連れて行くと言ったジャミルに、カリムは驚いたが反対はしなかった。



「よ、気分はどうだ?」

甘い香りのしない部屋に、カリムの明るい声が響く。ベッドに腰掛けたは「久しぶりにカリムを見たわ」と微笑んだ。カリムはの隣に腰掛けながら「オレ、あの薬苦手でさ。すっげー苦いんだぜ」と明るい調子を崩さずに話す。

「薬が美味しかったら依存してしまうもの」

ジャミルみたいに、とは笑みを消した。隣に座るカリムに身体を向けると「話があるのでしょう?」とカリムの横顔を見つめる。カリムは「ああ」と頷いた後、膝の上で組んだ両手の甲に顔を押し付けた。カリムは息を吐くと「ジャミルがおかしいんだ」と絞り出すように言った。誰も居ないのにを呼んだり、夜中にが出歩いているのを見たと言ったり、隈も酷くて、最近は授業中なのに上の空なことが多いって聞いて……。

「オレ、ジャミルがこわいんだ。オレの知らないジャミルになっていくみたいで……」

カタカタと震えるカリムの手を、はそっと包み込む。「ごめんね、カリム」、全部私のせいなの、ごめんね。はカリムと目を合わせられず「もう終わりにしましょう」と呟いた。カリムは握られた手を見つめたままだった。
とカリムとジャミルは、三人でよく遊んでいた。カリムは二人と居るのが好きだった。が植物状態になったとき、カリムは自分を責めた。オレと一緒にいたから、オレが守ってやれなかったから、まだ幼気なカリムは泣くことしか出来なかった。その後数年経って、ジャミルがの夢の中に入れたと話したときはカリムも嬉しかった。を学園に連れて行くと言ったジャミルに、カリムは反対しなかった。カリムは、を家族のように愛しているから。

「私、きっともう目覚めないわ」

自分の身体だから、自分が一番よくわかるのよ、とは言う。「だからもう終わりにするべきなの」とはカリムの顔を見た。の手に生温い滴が落ちる。わかっていたのだ。も、カリムも、ジャミルも、きっとはもう目覚めないだろうとわかっていた。それでも奇跡を信じていたし、信じたかった。

「ごめんな、。助けてやれなくて、ごめんな」
「カリムのせいじゃないよ」

魔法はあっても奇跡はないこの世界を、誰も恨めなかった。

祈っても叶わない