主人の兄弟に会ったんだけどそれより驚きの事実を知った
その日はフロイドもジェイドも仕事が休みだった。NRCを卒業後、ジェイドの意向で離れて暮らすようになった───と言っても同じマンションの別の部屋だけれど。フロイドは暇な休日をジェイドと過ごそうと、ジェイドの部屋を訪れていた。しかしジェイドから返答は無い。代わりに、「うう……ひどいよぉ……」と啜り泣く声がフロイドの耳に入る。声は寝室の方からだった。
「ジェイドぉ~?寝てんの?」
フロイドが寝室へ向かえば、ベッドの上にが蹲っていた。部屋を間違えたか、と一瞬疑ったフロイドだけれど、部屋に飾られたテラリウムを見てやっぱりジェイドの部屋だな、とフロイドはベッドの上のに目を戻した。「誰、お前」、フロイドはジェイドから使い魔と契約したなんて話、一切聞かされていなかったのだ。
「う……じぇいどくん……?」
はぼやけた視界でフロイドを見た。はこの三日、ジェイドからごはんを貰えていなかった。原因はが約束した時間に帰らなかったからである。帰る時間を必ず連絡すること、とジェイドはいつもに言っていた。もそれを守っていたし、数十分の前後はあれど、連絡した時間には必ず帰っていた。けれど数日前、は連絡した時間より1時間遅く帰った。「ごめん遅くなっちゃった。移動サーカス見かけて」、つい見入っちゃって、その言葉がの口から出ることはなかった。だって目の前に、ものすごく怒っているジェイドが居たのだから。ジェイドは笑みを浮かべていたけれど、夢に出てきそうなくらいこわかった、とは後に語る。そこからは売り言葉に買い言葉で、とジェイドは喧嘩した。ギャーギャー言い合った。ここが木造のボロアパートだったら住人全員からクレームがくるだろうレベルで言い合った。鉄筋造りの高層マンションなので二人の喧嘩が他の住人の耳に入ることはなかった。ヒートアップした二人だったけれど、の「飛べないくせに!」でジェイドの周りの空気が氷点下まで下がった。ジェイドは笑みを深くすると、拘束魔法を発動させた。「主人を馬鹿にしてはいけないと、教えてあげましょう」。の顔は一気に青ざめた。悲しいかな、ジェイドはより強い。は主人には勝てないのだった。
「いい子にするからぁ……ごはん……ちょうだい……」
は限界だった。このままじゃ死ぬ、餓死する。そんなの頭は回っていなかった。面白そうな気配を察知したフロイドは、「何食べたいの?」とと目線が合うように床に座った。
「なんでも、い、から、キスして……」
フロイドは一瞬目を丸くした。兄弟の趣味は把握しているつもりだったが、まだまだ自分の知らないことがあるらしい。こういうのが好みなのか、と兄弟の新たな趣味を知ったところで、フロイドは玄関の扉が開く音を聞いた。は気付いていない。寝室に近づいてくる足音に、フロイドは口角を上げた。「いーよぉ」、フロイドの手がの頬に触れる。やっとごはんを貰える、はもうそれしか考えられなかった。
「、いい子に……」
フロイドとの唇が重なる、その直前に寝室に入ってきたのはジェイドだった。勿論フロイドにはそんなつもり一切無いので「ジェイドおかえりぃ」と笑った。ジェイドの、いい子にしていましたか、と続けられるはずだった言葉は発せられることなく消えた。は「じぇいどくんが……ふたり……」と呟くと、限界を超えて気絶した。
「ん……」
「あぁ、起きましたか、」
「ひっ」
目が覚めたはジェイドの膝の上だった。横抱きにして抱えられたは、ジェイドの顔を見てすぐ逸らした。怒っている、それはもう物凄く。は怯えた。ジェイドはそんなの顎を掴むと、無理矢理目を合わせ「」と笑う。は涙ながらに「……はい」と返事をした。
「お腹空いてますよね?」
「はい……」
「ごはん欲しいですよね?」
「はい……」
「じゃあ僕に言うことがありますね?」
「う……ごめんなさい……」
「何が?」
「……帰る時間、忘れて……」
「他には?」
「……ジェイドくんのこと、馬鹿にして……」
「それから?」
「……ご主人様じゃない人に、ごはんおねだりして……」
「へえ……。フロイドがあなたにキスしようとしてたから何事かと思ったんですが、から強請ったんですね」
しまった、墓穴だったとは思ったがもう遅い。はぼろぼろと涙を溢しながら「ごめんなさい……」と謝った。ジェイドは「フロイドからごはんを貰ったって、と契約しているのは僕なんですから意味ないでしょう」との目尻に触れた。
「そうだけどぉ……。だって、ジェイドくんだと思ったから……」
「兄弟がいるなんて聞いてないし」とは呟いた。それに関しては自分にも非があるとジェイドは思っている。なのでジェイドは「仕方ないですね。今回は許します」とを自分と向かい合うように抱え直した。は涙を引っ込めると顔を輝かせた。これでやっとごはんを貰える、頭はそれでいっぱいだった。
「フロイドにしたように、僕にもおねだりが出来たら」
「ええ?!」
「だって、主人である僕にはおねだりなんて一度もしたことないのに、フロイドだけずるいじゃないですか」
は使い魔として優秀だ。ジェイドの期待に応えてきたし、その度にご褒美としてごはんを貰っていた。ジェイドの言う「おねだり」というものを、はしたことがなかった。恥ずかしい、けれど今はそんなことを言っている場合ではない。はお腹が空いて仕方がない。朦朧としていたし、ジェイドではなかったとはいえ、一度は自分の口から「おねだり」の言葉を出したのだ。は腹を括った。空腹が羞恥に勝ったのである。
「……ごはん、ちょうだい……」
は精一杯の上目遣いと猫撫で声でジェイドに言った。一度引っ込めた涙を出して、潤んだ瞳というオプション付き。これでどうだ、と内心で得意気になったに、ジェイドは「違うでしょう」と冷たい声。「僕はフロイドにしたように、と言ったんですよ」と言われ、は全部知ってるんじゃないか、と文句を言いたかった。しかしもそこまで馬鹿ではないので、文句は飲み込んだ。の目からは本当に涙が出てきたし、空腹に勝ったはずの羞恥が顔を出した。
「うぅ……ジェイドくん、……キスして……」
「はい、よく出来ました」
ジェイドはに口付けた。「んぅ、……ん、ふぁ……」、の口からはくぐもった声が出る。「、口開けて」、ジェイドの優しい声に、はもう怒っていないなと安心した。数十分間、たっぷりとジェイドにごはんを貰って満腹なは、忘れていた。
「ジェイド、仲直りしたのぉ?」
キッチンから顔を出したフロイドの存在を。
「改めて、僕の兄弟のフロイドです。フロイド、こっちは使い魔のです」
「どーも、フロイドでぇす」
「です……」
はジェイドに抱えられたまま、フロイドと挨拶を交わした。フロイドは「ジェイドがペット飼ってたなんて知らなかった」とを見る。は恥ずかしさで一杯だったけれど、フロイドはそんなの知ったことではない。フロイドは「パンケーキ食べる?」とにフォークに刺さったパンケーキを差し出した。それはの大好物だけど、ここでフロイドの手ずから貰おうものなら主人が黙っていないだろうとは我慢した。
ジェイドが帰宅してから、フロイドは不機嫌なジェイドに巻き込まれまいと「オレも腹減ったからキッチン借りるね~」とキッチンでパンケーキを作っていたのだ。
「てかなんでパンケーキの材料ばっかあんの?ジェイドちゃんと飯食ってる?」
フロイドはパンケーキを咀嚼しながら訊いた。ジェイドの燃費の悪さはフロイドが一番知っている。ジェイドは「食べてますよ。それは用です」と魔法でフォークを出すと、フロイドのパンケーキを一口大に切った。
「、あーん」
「あ、……おいしい!」
ジェイドの手ずからなら問題ないだろうとは今度は素直に咀嚼した。普段ジェイドの作ってくれるものも美味しいけれど、こっちも美味しいとはパンケーキの美味しさに羞恥心を忘れた。は「ジェイドくん、もう一口」と強請った。
「オレが作ったんだけど。ちゃん、あーん」
フロイドが先程と同様、にフォークを差し出す。フロイドは楽しんでいた。は「……ジェイドくんに怒られるから」と遠慮した。ジェイドはの頭を撫でながら「よくわかってるじゃないですか」とまたフロイドのパンケーキを一口奪った。
「だからオレのなんだけど!」
「」
「あ」
「美味しいですか?」
「うん」
「僕が作ったやつとどっちが美味しいですか?」
は悩んだ。どっちも美味しい。ジェイドの作ってくれるものは甘くて外は少し固めで中がふわふわ、フロイドの作ったものは甘さは控えめだけどふわふわ加減が絶妙。これがベッドならずっと寝ていたい、そんな感じのふわふわ。「ジェイドくんのは甘さが好み、ふわふわ加減はフロイドくん」、は食に関して妥協出来ないし嘘も吐けない。
「でもフロイドはいつでもふわふわに作れるわけじゃないですよ」
「そうなの?」
「んー、まあ今日はそーいう気分だしね。この間店で作ったやつは固い!ってアズールに怒られたよぉ」
「でも気分じゃなかったんだからしょーがねぇじゃん」とフロイドは残りのパンケーキを平らげた。ジェイドは「だから僕が作るほうがいいですよね?」とに微笑んだ。は馬鹿ではないので「はい……」と素直に頷いた。そんな二人を見ていたフロイドは「ちゃん、厄介なのに捕まったねぇ」と少しだけに同乗した。ほんの少しだけ。
「でも、人魚は一途だし、ウツボは愛情深いから大丈夫だよぉ」
ケラケラ笑うフロイドに、何が大丈夫なんだとは訊きたかったけれど、それより何かもっと重要なことがフロイドの口から聞こえたな、とは勢いよくジェイドを見た。の言わんとすることをわかっているジェイドは、わかっているくせに「どうしたんですか?」なんて笑っている。は叫んだ。
「ジェイドくん人魚なの?!」