※夢主は吸血鬼と魔女のハーフ
※女賢者様が出てくるし喋る
※多大な捏造
賢者がファウストと明後日の任務について話し終え、自分の部屋に戻ろうとしたときだった。女の呻き声、何かが割れるような音がムルの部屋の方から聞こえる。何事かとムルの部屋に近付くも、ムルはこの時間は不在だ。愛しい厄災を見に外へ行っている。それを思い出した賢者は、尚更この声と音は何なのか不思議に思う。そっと扉に近づけば、より鮮明に音が聞こえた。女の啜り泣く声。カナリアは今日はもう帰ったし、賢者の他に女は居ない。まさか幽霊の類だろうか、と賢者が顔を青くさせる。
「おや、賢者様。どうされたのです?」
ムルの部屋の扉を開けてしまおうか、誰かに言おうか、悩んでいたところに現れたのはシャイロックだった。「ムルは今外に居ますよ」と言われ、賢者は「違うんです。ムルに用があるわけじゃなくて……」と自分が耳にしたもののことを話した。
話を聞いたシャイロックは「ああ」と頷くと、不安そうな顔の賢者に「猫ですよ」と微笑んだ。
「猫?」
「はい。猫が猫を飼ってるなんて、少々おかしくはありますが」
「はあ……」
明らかに猫の声じゃなかったと賢者は思ったが、シャイロックがあまりにも当然のようにそう言うので、そうなのかな、という気がしてきた。賢者としてここへ来てからそれなりの時間が経つが、まだまだ知らないことがあるな、と賢者は思った。
「しかし、そうですね……。可哀想なので出して差し上げましょうか」
シャイロックが呪文を唱えると、カチャと部屋の鍵が開いた音がした。賢者が「勝手に大丈夫なんですか?」と訊けば、シャイロックは「ええ。自分の欲求を満たすために飼い猫を放ったらかしにする飼い主には、少々お仕置きが必要でしょう?」と目を細めた。それに賢者が「はあ」と返したのと、勢いよく扉が開いたのは同時だった。
「シャイロック!!!!」
部屋から文字通り飛び出して来たのは女で、女は涙でぐちゃぐちゃになった顔を更に歪ませながらシャイロックに抱き付いた。「ああ。やっぱりでしたか」と女を受け止めたシャイロックは、その背中をぽんぽんと安心させるように叩く。と呼ばれた女は「うう」と呻いて泣いていたが、暫くして落ち着いたのか、深呼吸を一つしてから、宣言した。
「今日こそあの男殺してやる」
◆◆◆
厄日だった。つまりついていない日。は占いの類を信じていないけれど、今日ばかりは、朝道端で自称占い師に「今日は散々な日になるよ。若い男に近付くのはやめときな」と言われたのを信じておけばよかったと後悔した。は腹が減っていたのだ。ここ数日ろくに血を飲んでいなかった。血は若い方が美味しい。人間だともっと美味しいけれど、はそう簡単には死なない魔法使いから血を貰うことが多かった。
が目を付けたのは中央の国で見かけたアーサーだった。は知らなかったのだ。アーサーが、あのオズに可愛がられていることを。は運が悪かった。適当に弱ったフリしてアーサーを人目のないところへ連れて行く現場を、ばっちりしっかりオズに見られていた。これはまずいと思ったときにはもう遅く、はオズに攻撃されたしオズに敵うわけがなかった。更に最悪だったのは、弱ったところをムルに見つかったことだ。逃げる力も残っておらず、抵抗する間もなく、ムルに魔法舎に連れて来られたのだった。それが一週間ほど前の話。
ことの経緯を話し終えたは、シャイロックが淹れた紅茶に口をつけた。三人で談話室へ移動してからも、はずっとシャイロックにくっついている。
「大体あの男は倫理観なさすぎなの! 学者だったムルに散々な目に遭わされて、ムルに協力しよう、とか思うわけないじゃん!」
「……えーと……散々な目とは……」
「吸血鬼の生体が知りたいとか何とか言っていろんなことされたの!」
「おや、あれは同意の上ではなかったのですか?」
そう言ったシャイロックに、は「そんなわけないじゃない! えっ……もしかしてそう思ってたから助けてくれなかったの……?」と弱々しく訊ねた。シャイロックはそれに微笑みだけを返して、紅茶のお代わりを薦めた。いろんなこと、の部分が気になる賢者だったけれど、何となく聞くのは怖いので、「今回も何かムルに頼まれたんですか?」とだけ聞くことにした。はガチャンと乱暴にカップを置いた。
「ムルに血を吸ってって言われたの。どんな感じか知りたいからって。でも私はやだって言ったの。そしたら、じゃあお腹が空いて死にそうになったら俺に縋るよね、って……うう……」
連れ去られたときのことを思い出して、は泣いた。賢者はそれは酷いなと思ったし「それは……酷いですね……」と口から出た。ムルの知的探究心が旺盛なところは賢者もよく知っている。シャイロックが「同意でないなら止めなさいと何度も言っているんですが、あれが素直に言うことを聞くわけがありませんから」と、の口元に手首を晒した。はそこにそっと歯を立てて、溢れた血を飲み込んでいく。賢者は何だか見てはいけないものを見ているような気分だったけれど、目を逸らせなかった。
「……っ、……賢者様からも言ってやってください」
「ん、ん、……そうだ! その手があった。ムルも賢者様の言うことなら聞くでしょ?」
「ええと……どうでしょう……。ムルは自由ですから、私でお役に立てるか……」
「……やっぱりあの男を殺すしかない……」
「それはオススメ出来ませんねえ。あれでも賢者の魔法使いですから、色々面倒になりますよ」
「私としても殺すのは止めてほしいですね……」
「じゃあどうにかあの男に私から興味を失くすように言って……」
どうしたものか、と賢者が悩んでいると、「それは無理! 一度気になっちゃったら答えを見つけるまで諦められないよ!」と明るい声が談話室に響いた。厄災とのデートを終えたらしいムルは、の目の前まですいーっと飛んでいく。は「ひっ」と小さな悲鳴をあげて、シャイロックの腕にぎゅうっとしがみついた。
「、シャイロックの血飲んだ?」
ムルの両手が、の頬を包んだ。はムルから目を逸らすことも出来ず、ガタガタと震えている。ムルの表情は髪で隠れて、シャイロックにも賢者にも見えなかったけれど、ムルの声がいつもよりほんの少しだけ低いことは二人とも気付いていた。何も答えられずにいるに、ムルは「お腹空いて死にそうだった? それってどんな感じ? いつかきみの理性を奪ったことがあったよね。そのときも死にそうな顔をしていたけどあんな感じ? 違う? 違うならどう違う? 何が違う? 理性を失くして血を飲むのと、理性を保ったまま血を飲むの、はどっちが好き?」と畳み掛けるように言った。
「ひ……やだ、きらい、やだ」
テーブルに置かれたカップとポットが、カタカタと音をたてたかと思えば、一瞬にして全て粉々になった。どこかでピシと音がして、賢者が顔を上げれば、窓ガラスにヒビが入っていた。ヒビはどんどん大きくなっていく。このままでは割れてしまう、しかし賢者にはどうしようも出来ない。賢者が頭を悩ませていると「インヴィーベル」とシャイロックが囁いた。ムルの身体が上空に飛ばされる。ムルはそのまま宙に浮いた。
「ムル、が怯えていますよ」
「シャイロック怒った? にゃーんってする?」
「怒ってませんよ。きちんと面倒も見れないのに拾ってくるあなたに呆れているんです」
「大丈夫ですか?」と賢者が青褪めた顔のに近付く。シャイロックが「、大丈夫ですよ。深呼吸して」との背中を撫でる。賢者も震えるの手をそっと握った。
「あはは! 、介抱されてる!」
「ムル、少し静かにしててください。窓ガラスと食器の後始末、お願いしますね」
「えー。が魔力をコントロール出来ないのが悪いのに!」
シャイロックのこめかみに青筋が立ったのと「ムル!」と賢者が声を荒げたのは同時だった。滅多に声を荒げることなんてない賢者に、シャイロックもムルも、賢者のことをあまり知らないも驚いて賢者を見た。
「ムルの好奇心旺盛なところや自由なところは好ましく思っていますが、ちょっとやり過ぎです。窓を元通りにして、食器も片付けてください」
「賢者様もそんなこと言うの? 怒ってる?」
「怒ってます。反省しないならファウストにお願いしている明後日の任務、代わって貰いますからね」
「深夜になると何も居ないはずの洞窟の奥深くから呻き声が聞こえるっていうやつでしたっけ」
「はい。泊まり込みで一週間です」
「ええー。そんなところ月が見えないよ!」
「そんなのやだ!」と言うムルに、賢者は「じゃあちゃんと反省してください」と冷淡に返した。しかしムルの頭の中には反省という文字がなかった。ムルはどうすれば良いのかわからない。ムルはとりあえず言われた通り窓を戻して、食器を片付け始めた。
すっかり落ち着いたは、賢者とシャイロックに礼を述べてから「お礼」とシュガーを賢者に渡した。
「わ、ありがとうございます。…… は吸血鬼なんですか? 魔女なんですか?」
「あ、私、吸血鬼と魔女のハーフ。と言っても、魔力はほとんど無いし、ムルの言う通りうまくコントロール出来ないの」
「は強い恐怖を感じるとすぐ何でも壊しちゃう!」と片付けを終えたムルがシャイロックの隣に座った。シャイロック越しにと目を合わせたムルは「、ごめんね」と、眉を下げた。それがムルなりの反省だった。
はムルから目を逸らして、もう一度合わせてからまた逸らして、賢者を見た。視線に気付いた賢者は「許すも許さないもの好きにして良いんですよ」と優しく笑った。は次にシャイロックを見る。いつの間にか煙管を吸っていたシャイロックは、煙を吐き出すと「私も賢者様と同じ意見です」と微笑んだ。
「……何がごめんねなの?」
「うーん……、怖がらせて!」
「二度と私に近付かないなら許す」
「それは無理! 次にお腹が空いたら俺の血を飲んで貰うから!」
にこにこ、笑顔でそう言ったムルに、賢者は後でファウストに任務は無くなったと伝えに行こうと決意した。
(君の世界を知りたいだけだよ)