昔、双子の人魚を買ったことがある。海の色を持つ、美しい双子だった。
双子は闇オークションで「本日の目玉」として檻に入れられていた。身を寄せ合って手を繋ぐ、幼気な子供だった。人間と同じ二本足の子供が人魚だと、司会者も客も気付いていなかった。恐らく、変身薬か何かで足を得て、浜辺で遊んでいたところを拐われたのだろう。この辺りで「双子」は珍しいから。海辺にはそういう「人攫い」が少なからず存在する。
私が双子は人魚だと気付いたのは、透視魔法を使ったからだった。それは私が一番得意な魔法で、対象の骨や臓器まで見ることが出来る。背中に背鰭の跡らしきものが見えた。
「1000から!」という司会者の声に、「3000」「5000」と声が上がっていく。こんなに美しい双子が、1000万から、というのは馬鹿な話だと思った。そもそも値段をつけることが、もう間違いなのだ。「五億」私の声に、会場が静まり返る。数分の沈黙の後、司会者が「五億!他には?!いらっしゃいますか?!」と声を上げるが、他に声を上げた者はいなかった。「では五億で落札です!」。双子のオッドアイが私を見つめていた。
「あなたたち、お名前は?」
よくよく見ても、双子は綺麗な顔をしていた。家に連れ帰って、二人の全身を観察しながら、話しかける。二人は「オレはフロイド」「僕はジェイドです」と愛想良く笑った。
「フロイドにジェイドね。怪我や痣は……無いみたいね」
「服を脱いでいないのにどうしてわかるんですか?」
「そういう魔法よ。不快にさせたならごめんなさいね」
「あは、すげぇ〜。それってオレにもできる?」
「どうかな。訓練すれば出来るかも」
「えー教えてくんねぇの?」とフロイドが頬を膨らませた。ジェイドがその横で「ご主人様を困らせてはいけませんよ」と宥めている。ご主人様、という言葉に、二人から見ると私はそうなるのかと思い出した。けれど私が二人を買ったのは、私に隷属させるためじゃない。
「あなたたち、人魚ね」
そう言えば、二人は少し顔を強張らせた。「変身薬の効果が切れる前に、海に帰りなさい」、今度は二人とも驚いた顔をする。人を買ったら奴隷にするなり、また別の闇オークションに買値より高い値段で売ったり、何かしらに「使う」のが普通だ。「人魚」を買った人の話は聞いたことがないけれど、その特異性から見世物にして金を稼いだり、血肉を口にするのが一般的に考えられるだろう。人魚を食べると不老不死になれる、そういう言い伝えがある。闇オークションに参加する者は、大抵が悪趣味なのだ。けれど私には人魚を食う趣味もないし、見世物にする気もない。本当は闇オークションだって参加するつもりはなかった。「双子の子供が出品されるらしい」と聞いては、参加せざるを得なかった。
「……あなた、僕たちを助けてくれるんですか」
「ご主人サマって、変な人だね」
「何とでも言いなさい。とにかく、ここにいちゃ駄目よ」
私は理不尽に売られる子供を買い、親の居る子は親元へ帰し、身寄りの無い子は育て、大人になったら仕事を紹介し、一人でも生きていけるように世話をしていた。そうやって子供の世話をするのが幸せだった。
政府が目を光らせ始めたこともあり、ここ最近は子供が出品されるなんてほとんどなかった。この二人が普通の人間だったなら、いつも通り親元へ帰すか、親がいなければ育てるか、どちらかにするはずだった。けれど二人は人魚だ。人魚というのは、人間と倫理観や価値観が全く違う。それもまだ世界を知らない幼い子供だ。陸に上がるには早すぎる。
「何がお望みですか」
ジェイドが警戒心を隠そうともせずに言う。「何もいらないわ」、そう返せば、今度はフロイドがまた「変なの」と言った。二人は身を寄せ合って、手を繋ぐ。檻の中にいたときみたいに。「お喋りはおしまい。はやく行きなさい」、二人は手を繋いだまま歩き出した。
「ばいばぁい、ご主人サマ」
「さようなら、ご主人様」
扉を開ける際に一度私を振り返って別れの挨拶をすると、二人はすぐに出て行った。ここから海は近い。海辺に家を建てたのは正解だったな、と窓から見える海に目を向けた。二人が浜辺を走っている。あ、転んだ。うまく立ち上がれないのか、這いつくばるように水の中へ進んだ。人魚から人間になると、足に慣れず転んだりうまく歩けなかったり、いろいろ聞くけれど、二人も同じらしい。水に浸かったところから、人魚に戻っていく。水面から顔だけを出した二人と目が合った。手を振る二人に、私も振り返して、二人が潜ったのを確認するとカーテンを閉めた。
翌日、闇オークションの司会者が水死体で見つかった。目立った外傷はなく、誤まって海に落ちた不幸な事故。近所の人はそう噂していた。闇オークションで随分稼いでいたようだから、きっと天罰だと私はあまり気に留めなかった。
その晩、カタンとポストが開けられた音が聞こえた。郵便配達の時間はとうに終わっている。不思議に思い、ポストを確認すると一通の手紙が入っていた。いや、手紙というには些か拙い。メモ用紙を封筒に入れただけ、という表現の方が合っている。紙には「助けてくれたお礼です」と書かれていた。封筒の底に、小さな何かが入っている。手を受け皿にして、その上で封筒を小さく振る。中から出てきたのは、歯だった。白い、奥歯だろうか。でも、どうしてこんなもの。
「続いてのニュースです」
点け放しのテレビからニュースが聞こえた。歯を封筒に戻しながら、テレビを見れば、あの司会者が水死体で見つかったというニュースだった。近所の海が映し出されている。男性に目立った外傷はなく。足を滑らせて。海に落ち、溺れたのではないかと。噂と同じような言葉を、アナウンサーが話している。男性の奥歯が一本欠けており───。私は思わず封筒の中を見た。そこには確かに、歯がある。念の為、事件の可能性も考慮し捜査を続けていく方針です。アナウンサーが淡々と話す。ニュースは次の話題へ切り替わる。私はテレビの電源を落とした。
手紙、お礼、歯、男の死体。やっぱり、あの二人が陸に上がるには、早すぎたのだ。この歯がもし、男のものだったら。私がこれを持っていることが、知られたら。
幼気な子供。まだ世界を知らない、善悪の区別も出来ない、それも人魚の子供。人魚と人間では、倫理観や価値観が全く違う。環境も文化も違うからだ。純粋なお礼、きっとあの二人はそういう気持ちだったのだろう。ぐしゃり、と私の手の中の封筒が潰れた。
あれから数年が経った。私はランタンを片手に、夜の海を眺めていた。あの日貰った手紙を捨てることが出来ず、ずっと引き出しの奥に仕舞っていたそれを持ってきた。海に捨ててしまおう、というよりあの二人に返そうという気持ちだった。それをそっと波にのせる。照らされたそれは段々離れていって、真っ黒な海を漂っていった。結局、男の死は事件性のない、不幸な事故で終止符が打たれた。
灯りの届かないところまでいったそれに、私は小さく息を吐く。もう忘れよう。双子に出会ったことも、男の死も、全ては長い人生の一部分でしかないのだから。
「こんばんは」
帰ろうと立ち上がったときだった。後ろから、静かな声が聞こえた。月の無い夜に、その声はよく響いた。驚いたのを悟られないように、ゆっくり振り向く。ランタンが、ぼうっとその人を照らす。背の高い男の人がいた。
「……こんばんは」
「すみません、急に。迷子になってしまって」
「道を訊きたいんです」とその人は微笑んだ。迷子というにはずいぶん大きいなと思ったけれど、私から見れば大抵の人は子供だ。「どちらへ行きたいの?」、そう訊けば、その人は「あの家」と私の屋敷を指差した。今日は来客の予定はなかったはずだ。それもこんな夜更けに。それとも私が忘れているだけだろうか。
「あの家に何かご用事?」
「ええ。会いたい人がいるんです」
あの屋敷には私しか住んでいない。もうずっと私はあそこに一人で暮らしている。そうなると、彼の言う「会いたい人」は私になるけれど、知り合いにこんなに背の高い人はいただろうか。「ついて来て」、普段はあまり人を招かないけれど、たまには良いかと思い、そう言った。彼は「ありがとうございます」と礼を述べると「それ、僕が持ちますよ」と私からランタンをそっと奪った。
彼は歩く。迷いのない足取りで。「この辺りの方ですか?」「ずっとお一人で?」「海はお好きですか?」、歩きながら彼はいろんなことを聞いてきた。私はそれに適当に返す。彼は道を知らないはずなのに、足は止まらない。数十分もしないうちに、家の前に着いた。玄関の扉に凭れかかっている男がいる。男は私たちに気付くと「ジェイドおっそーい」と私の隣を歩いていた彼を見た。ジェイド、名前に聞き覚えがある。昔買った双子の人魚の一人が、確かそんな名前だった。
「すみません、フロイド。ご主人様とお喋りしていて」
玄関のブラケットライトが、彼らを照らす。二人は同じ顔をしていた。海の色を持った双子。
「え〜オレもご主人サマとお喋りしたいんだけどぉ」
私は理不尽に売られる子供を買って育てていた。それが幸せだった。ここ数年は人身売買も大分減って、子供を買うことも育てることもなかったけれど。育てた子が、大きくなって私に会いに来ることは珍しくなかった。あのときのお礼がしたいと、最初は皆再会できる喜びに溢れた顔で訪ねてくる。けれど、私の姿を見たかつての子供たちは、怯え、震え、逃げていった。化物と言われたこともある。きっとこの二人もそうだろうと思ったけれど、予想とは裏腹な明るい声が響く。
「ていうかさぁ、ご主人サマ、ぜーんぜん変わってないね」
「ええ。なのですぐわかりました」
私を見下ろした双子が、にんまりと笑う。子供のときも美しかったけれど、大きくなって更に美しくなったなと双子を見上げた。ずっと変わらない私とは、違う。
「あ、そうだ」と楽し気に人差し指と親指で輪を作ったフロイドが、それを自分の左目に翳す。
「オレ、あれから練習したんだぁ」
「ご主人サマほど上手くねぇけど」とフロイドの左目が、私を見る。いや、正確には私の身体を。
子供を育てていたのは、すぐに別れがくるからだった。時間を共にすればするほど、別れが惜しくなる。けれど子供なら、その子が大人になればそこでお終い。全ては、長い人生のほんの一部でしかない。
「やっぱり、心臓ないよねぇ、ご主人サマ」
「不思議ですねぇ。心臓が無いのに生きているなんて。ねぇ、ご主人様」
ジェイドとフロイドが、楽しそうに笑う。言いたいことはいろいろあったけれど、結局私の口から出たのは「ご主人さまっていうの、止めてくれる?」だけだった。
果ての無い人生の一部