「すみません、今夜は賢者様とお話がありますので」

そう言って眉を下げて笑うシャイロックに、は「そう。なら仕方ないね」と返すしかなかった。はここでシャイロックを引き留める言葉をかけたって、シャイロックがそれに応じないことはわかっていた。昨日も一昨日もその前も、ここ二週間くらい、はシャイロックに振られ続けている。何を毎晩のように賢者様とお話することがあるんだ、は帰り道に転がる石を蹴り上げた。

「魔法舎に火でも放ってやろうかしら」

蹴り上げた小石を見上げながら、は呟いた。「なになに、悪だくみ? それって楽しい?」、いつの間にかの背後には空中散歩を終え、箒を持ったムルが居た。は急に現れたムルに驚きながら「冗談だよ」と返す。

「賢者様のいる魔法舎に火を放つなんて、そんなこと出来るわけないでしょ」
「火? 俺花火好きだよ! キラキラしてて!」

の話を聞いていたんだかいないんだかわからないムルを、は「はいはい」と軽くあしらうと、思い出したかのようにポケットを探った。はポケットから輝くルビーを取り出すと、それをムルに差し出す。

「これあげる」
「わぁ! ルビーだ。俺にくれるの?」
「うん。ものすごーく上質なルビーだから、シャイロックに見せようと思ったんだけど、振られちゃった」
「猫が捕まえた鳥を持ってくるみたいだね」
「なあに、それ」
「賢者様が言ってたんだ。猫は捕まえた獲物を見せにくるんだって」

「それって楽しいかな?」と言いながら、ムルは空にルビーを翳す。はそれに「さあ。楽しいんじゃない」と返すと、呪文を唱えて箒を出した。歩いて帰ろうと思っていたけれど、今すぐ飛んで帰って酒を浴びるほど飲みたくなった。

「ムル、私帰るね。賢者様によろしく。あとシャイロックにバーカって言っといて。出来る限り怖い感じで」
「……バーカ……こう? こんな感じ?」
「え、こわ……。そうそんな感じ」
「あはは! 俺えらい?」
「偉い偉い。じゃあバイバイ」

バイバーイと手を振るムルに、も手を振り返して家へ向かう。「あのルビー、本当はブローチに加工してシャイロックにあげようと思ったのに……」、の一人言が静かな空に響いた。大体、シャイロックの恋人は私のはずなのに、賢者様賢者様って何なのよ、賢者様が良い人なのは知っているしシャイロックは面倒見が良いから、異世界から急に来た賢者様を気にかけたい気持ちもわかるけれど、でも、でも、面白くない。の不満は募るばかりだった。

シャイロックがの家を訪ねて来たのは翌日の夜だった。シャイロックは扉を数回叩いた後に「? いらっしゃいますか?」と声をかけたが、はその声を無視した。はシャイロックと顔を合わせる気分じゃなかったし、今更何の用よ、と一人不貞腐れていたのだ。はさっさと帰ってくれと思いながら、今日もワインを開ける。きゅぽんとコルクが抜けたのとの家の鍵が開いたのは同時だった。「いらっしゃったなら仰ってください」、床に落ちたコルクを拾うを見て、シャイロックは笑う。

「不法侵入だ!」
「何を今更」

何が面白いのか、シャイロックはくすくす笑いながらの隣に腰掛けた。流れるような動作での手からワインのボトルを奪うと、それをグラスに注いでいく。流石酒場の店主だけあって、その動作は優美で手慣れていた。は思わず見惚れる。シャイロックは「拗ねてます?」と、ワインがグラスを満たしていくのを眺めるに問う。はグラスから目を離した。

「どうしてそう思うの」
「昨日、ムルにバーカ、と言われたので」

ムルの真似なのか、普段のシャイロックの調子とは違う声でそう言った。ムル、本当に言ったのか、いや言っておけと言ったのは自分だけれど、とは昨日のムルを思い出した。本当にあの怖い感じで言ったのか、もしそうならシャイロックはどんな反応をしたのかは気になったけれど、今はそれについて言及するべきではない。差し出されたグラスを受け取ったは「拗ねてるんじゃない」と一気にそれを仰いだ。

「嫉妬してるの」

もうずっと何百年も一緒にいるのだ。今更シャイロックに醜い感情を知られることなど、にはなんてことないし、シャイロックはそういう醜い感情を受け入れる男だった。それにどうせ、隠したってバレる、はそれをよくわかっていた。

「可愛い人」

空になったグラスを、シャイロックがの手からそっと奪ってテーブルに置いた。シャイロックがの肩を押す。シャイロックの手がソファに倒れ込んだの髪を滑って耳を撫でる。やめて、との口から出かかった言葉は、シャイロックの唇に飲み込まれてしまう。ワインの芳香な香りと、深い口づけに、は頭がぼんやりしてくる。酒が回ってきたせいかも、と思いながらは薄く開いた唇で、シャイロックの唇を受け入れた。「あ、」と小さく声を漏らすを見て、シャイロックは目を細めて笑う。

「ムルにルビーをあげたでしょう」

唇を離したシャイロックが、人差し指での下唇をなぞる。

「……本当は、ブローチにしてシャイロックにあげようと思ったんだよ」
「ではなぜムルに?」
「わからないの?」

シャイロックの指が、の唇の浅い所を優しく押す。ワインの所為だろうか、の熱がシャイロックの手にも伝わっていた。「わかりませんねえ」とシャイロックは微笑む。

「言って、ちゃんと言葉にして。私に教えてください」

シャイロックはいつだってそうだった。の意思を、言葉を聞きたがる。は一度口を開きかけて、閉じて、シャイロックから目を逸らす。はキスをされて、見つめられて、優しく問われるのに弱かった。全部、何もかも、シャイロックの求めている答えを差し出したくなる。

「シャイロックが、構ってくれないから」

逸らした目を戻してそう言ったに、シャイロックは「花まるです」と笑うと、もう一度口付けた。
はすぐ嫉妬するし、いつだって自分を優先して欲しいと思っている、面倒な女だけれど、シャイロックは面倒なを愛しているのだ。

(全部あげるよ、何もかも。)