シャイロックだとすぐにわかった。彼の箒は昼でも美しいけれど、月明かりの下で見ると取分け美しくて、わたしはそれが好きだった。だから、彼が来たのだとすぐにわかった。
わたしは庭に広げたティーセットを片付けるところだった。けれど、きっと彼はシュガーの入った紅茶を望むだろうと、片付けの手を止めた。

「こんばんは」

彼の挨拶に「こんばんは、シャイロック」と返しながら、もう一脚椅子を出す。一人ではないお茶会は久しぶりだ。瓶にいっぱいのシュガー、クッキーも用意しよう。カップやスプーンは、もう何百年と使っている思い出のもの。

「どうぞ。紅茶にシュガーを入れるでしょう?」
「ご一緒してもよろしいのですか?」

「お茶会はもう終えるところだったのでしょう?」と言いながらも、彼は椅子に掛けた。わたしはそれに「あなたが来るのが見えたから」と返す。

「シュガー入れてください。あと、うんとあたたかいのにしてください」
「それって熱いってこと?」
「あたたかい、のほうが優しい感じがしません?」
「優しさをご所望ってことね」

彼の要望通り、うんとあたたかくしてシュガーを溶かす。「シャイロックのシュガー欲しいな」と自分のカップを差し出せば、彼は快く応じてくれた。わたしのカップに、彼のシュガーが溶けていく。わたしたちは互いのカップを交換した。
月が顔を出してから、随分と時間が過ぎていた。カップの中で揺れる月を見て、そういえば、今日はムルが一緒ではないなと気付く。ここにある食器たちは、昔、骨董品屋で目利きの得意なムルに見つけて貰ったものだ。ムルはそれを覚えていないけれど。

「ムルは一緒じゃないの?」
「寝かしつけて来ました。もう一人で寝られるようになったんですよ」

彼は紅茶に口をつけながら、そっと息を吐いた。育児をする父親みたいだと思ったけれど、自分の子供なら多分もっと違う接し方をするだろう。彼の子供って美形になるだろうな、とどうでもいいことを考えながら、わたしも紅茶を啜った。

「そう。でも、シャイロックは一人じゃ眠れないのね」

彼の、クッキーへ伸ばした手が宙で止まった。わたしは次に何と言おうか考える。同じベッドに誘う言葉、労いの言葉、それとも祝福の言葉が良いのだろうか。彼を傷付けたいわけではないし、今日の彼は優しさを望んでいるから、罵倒の言葉は候補に無い。

「一緒に寝る? ムルの子育て……という言い方は合ってるのかしら。まあ、他に思いつかないからそう言うことにするわ。子育てお疲れさま。一人で眠れるようになって良かったね。ムル、元に戻って来てるのでしょう? おめでとう」

結局全部言ったわたしに、彼は喉を鳴らして笑った。彼の手の時間が動き出す。彼はクッキーを一つ摘むと、それを咀嚼していく。
わたし、何か面白いことを言っただろうかと思いながら、わたしもクッキーを摘んだ。

「ありがとうございます。元に、と言われたら少し自信がありませんが……」
「まあ、確かに前より可愛げはあるわね」
「おや、も今のムルが可愛いとお思いで?」
「そうねぇ。可愛いわね」

彼のカップの中身が空だった。それに気付いて、二杯目を注ごうとしたけれど、彼は「今日はこの一杯で止めておきます」と微笑む。彼の方へ差し出したポットを自分のカップへ向けた。わたしもこれを最後の一杯にしよう。「シュガーいります?」と彼が言ったけれど、今度は遠慮した。

はどちらのムルがお好きですか?」
「どちらも特に、何とも思わないわね」

クッキーはあと一枚だった。彼は器用にそれを半分に割ると、片割れをわたしの唇に押し付けた。小さく開けた口の中にクッキーが押し込まれる。クッキーの破片が彼の指に付着していて、それを舌で舐め取った。そうすると彼が喜ぶのを知っているから。すぅと目を細めた彼が「いい子ですね」と口端を上げる。もう片方の割れたクッキーも押しつけられて、同じように咀嚼した。噛み砕いて、嚥下して、乾いた口を潤すように紅茶を飲む。

「別に、完璧に以前のままに戻さなくても良いんじゃない?」

割れたものを、完璧に元に戻すなんて不可能だ。彼が割ったクッキーだって、どちらもわたしの中へ入ったけれど、元に戻るなんてことはないのだ。
必死にムルの魂の欠片を集める彼を、ムルを元に戻そうとしている彼を、わたしは知っている。彼が、愛しさと憎悪の中で焦がれていることも。自分の手でムルを作り変えてしまうのではないかと恐怖を抱えていることも。けれど彼は西の魔法使いだから、その恐怖すら悦楽になるのだろう。
彼はわたしの問いかけに、微笑みだけを返した。きっと疲れているのだろう。それか寂しいのだ。彼はそういうとき、言葉を返さないから。

はムルと仲が良かったでしょう」
「わたしは誰とでも仲が良いわよ」
「そうでしたね。では今夜は私と仲良くしてくださいますか?」

それが先程の「一緒に寝る?」の返事なのだと理解して、わたしは頷いた。呪文を囁いてお茶会セットを片付ける。今日はずっと外に居たから家の中の温度調整をしていない。寒いかもしれない、と伝えると彼はわたしの手をそっと握った。子供が、迷子にならないように母親と手を繋ぐみたいに。

「大丈夫。大丈夫よ、シャイロック。わたしが隣でうんとあたたかくしてあげるから」

そう言うと、彼は「は優しいですね」と息を吐いた。

(溶かしてしまいたいあたたかさ)