幼い頃から美しいものだけに囲まれて育った。美しい花、美しい調度品、父が作る美しい人形たち。父は美しいものしか愛せなかった。だから人形師になったのだと、美しい母から聞いたことがある。人形師になれば、自分の求める美しさを作ることが出来るのだと。父が愛した人は母だけだった。母はとても美しかったけれど、老いには敵わず、花が枯れていくかの如く、母の美しさは衰えていった。父はそんな母を見ていられなくて、母に似た顔の私を連れて家を出た。それから父は今まで以上に人形を作ることに没頭した。永遠に変わらない美しさを作らなければ、と云っていたのを憶えている。狂ったように人形を作り続ける父を見ていたからか、父と同じ人形師になろうとは思わなかった。だから学校を出て、普通に就職した。
 仕事が落ち着いてきたころ、母に会いに行った。老いていても私の母はただ一人だし、醜くても愛している。そう思っていた。数年振りに母を見て、私はこの人を愛することはできないと思ってしまった。絹のような髪は襤褸切れみたいで、痩せ細って皮と肉だけになっていた。か細い声で、私の名前を呼んで、私を骨が浮き出た腕で抱きしめた。私はそのとき初めて自分の最大の欠点に気が付いた。私も父と同じ。美しいものしか、愛せない。

「……あの男が、美しかったと云うのか」
「生きているときは美しかったわ。でも、物言わなくなって、血に塗れているのを見て、醜いと感じた。何度血を拭っても醜くて、だから、一番美しい腕を貰ったの」

 美しいものしか愛せないのなら、生涯愛せる美しさを手に入れてしまえば良い。私が父と違ったのは、私はその美しさが、人形では満足できないところだった。どんなに美しい人間でも老いには敵わない。ならば美しさが衰えないうちに、その人間の時を止めてしまえば良い。
 最初に手を掛けたのは女。会社の別の部署で働く女だった。美しい女だった。だから私はその女に心を開かせるため、兎に角彼女の話を聞いた。時間はそう掛からず、休日に一緒に出掛けるくらいの仲になった。そして満月の夜、私は初めて人を殺した。

「その女は」
「……如何してかしらね、あんなに美しいと思っていたのに、息の根を止めてしまうと、途端に醜く見えてしまう。だからそのときも一番美しいものを貰ったの」
「貴女は何故、人形を造らぬ」
「……人形は私にとって美しいものではないから」

 私は写真に目を向ける。写真に写る子供は、私によく似ていた。でもこれは私じゃなくて、父が作った母に似た人形だ。父は母に似た私を連れて行ったけれど、私も母のように醜くなっていくのではないかと不安になり、私を見ようとしなかった。そんな父と一緒に居るのが辛くて、家を出た。家を出るのと同時に仕事を辞めて、此処で古書店を始めた。人を殺すことに罪悪感が無いわけではないし、自分の異常性だって理解している。けれど変わらない美しさを手に入れたいという欲求は強くなるばかりで、だからもうそんなことはせず、此の古書店で静かに過ごすことに決めた。その筈だったのに、芥川くんが、現れた。

「私、貴方が此処に初めて来た日のことをよく憶えているわ。此処にお客さんが来るのが珍しいっていうのもあったけれど、初めて貴方を見たとき、何て美しいんだろうって思ったの」

 運命なんて信じていないけれど、屹度これが運命の出会いという奴なのだろうと、思った。私の求めていた美しさの凡てを、彼は持っていた。彼は何度も古書店に足を運んでくれて、彼を殺す決心をした。永遠に生きる美しい死体にしてしまおうとしたその日、彼が、自分の話をした。普段は無口な彼が自分のことを話してくれるのが、何だかとても嬉しかった。

「僕を殺さぬのか」
「最初はその心算だった。でも気が変わっちゃった」
「何故」
「貴方とのおしゃべりが、楽しいから」

 殺してしまいたい。欲望は私の中でゆっくりと、確実に育っている。自分が赦されないことをしたと理解しているし、赦して欲しいとは云わない。私はこれからも人を殺すかもしれない。目の前の美しさが手に入らないのなら、他で代えるしかないのだから。屹度、彼と会う度に欲求は強くなるだろう。でもやめたくない。ずっと、こうやって、彼と話していたい。私のものにして、永遠に美しいまま、閉じ込めてしまいたい。そうなれば、私は初めて人を愛することが出来る。そうなれば、私は彼とおしゃべりをすることは、二度と出来なくなってしまう。殺してしまいたい。そうしたいのに「……僕も、貴女とのこういう時間は、悪くないと思っている」なんて云うから、私は欲望に蓋をする。

「嬉しいことを云ってくれるのね」
「……今日は帰る……また明日」

 結局紅茶は一口も飲まず、彼は立ち上がった。「送るわ」そう云う私を一瞥して彼は歩き出す。玄関まで来たところで「此処までで良い」と云うから、玄関で別れた。闇の中に、彼が溶けていく。月明りだけが彼を照らしている。此の古書店には光が差さない。窓を塞いでしまったから。私にひかりが差すことは、もうないだろう。私は部屋を片付けながら、ふと思う。芥川くんから明日の約束をしてくれたのは、初めてだった。


明日のひかりを数える