「かおるくん〜」
「何だ、月が二つあるとでも言いたいのか」
「なに言ってるの〜おつきさまはひとつしかないよお」

背中に抱えた彼女が、ゲラゲラ笑いながら言う。上を見上げれば確かに彼女の言う通り月は一つしか無い。タクシーを拾って送ろうかと思ったが、結局今日もこうして彼女をおんぶして歩いている。

「かおるくん、ぜんぜん変わらないね」
「君も同じだろう」
「そうかなあ」
「僕も、君も、何も変わっていない」

嫌なことがあると自力で歩けなくなるまで酒を飲むところも、彼女の酔っ払った姿も、彼女を背中に抱える自分も。何も変わっていない。たったひとつ、彼女が結婚したこと以外は。僕たちは、何も変わっていない。あの日、彼女が恐らくは人生で一番美しかった日。彼女はヴァージンロードを逆走することは無かった。

「かおるくん、おほしさまきれーだねぇ」
「はいはい」
「かおるくんの、きらきらぼし、またききたいなぁ」
「前にも同じことを言っていたな」
「んふふ、そーだっけぇ」
「そうだ」
「わたし、かおるくんのきらきらぼし、すきだからなぁ」
「はいはい」
「かおるくん、わたしねぇ」
「何だ」
「いま幸せなんだぁ」
「そうか。それは良かったな」
「かおるくんに、また会えてよかった」
「旦那に誤解されるぞ」

今日再会したのは本当に偶然だったけれど、変に誤解されて困るのは僕も彼女も同じはずだ。

「大丈夫だよぉ、おともだちって言ってあるもん」
「はぁ……。そうか」

目的の駅に着いて、一度彼女を降ろしたけれどやっぱり自力では歩けなさそうでタクシーを拾おうと車道に目を向けた。乗用車を何台か見送った後に現れた車の「空車」の文字を見て手を上げようとした、その手を彼女が掴む。彼女は、静かに口を開いた。

「かおるくん、わたしねぇ」
「何だ」
「離婚、しようと思うの」

そう言った彼女の、頬に貼られたガーゼを見て、すぐに逸らした。「何かあったのか」と訊こうとして、止めた。聞かずとも分かる。僕の腕を掴む彼女の腕、長袖の隙間から包帯が見えたからだ。僕は何と返すべきか悩み、結局「そうか」としか言えなかった。それから彼女は俯いて「ひとりで帰れるよ、ありがとう」と背中を向けた。もう彼女がどんな顔をしているのかわからなくなってしまった。それだけ、僕たちの間には空白がある。「僕が、」遠ざかっていく彼女の背中に掛けたその声は、思いの外震えていた。

「僕が貰ってやる」

振り返った彼女が、泣きそうに笑いながら、口だけで「ありがとう」と言う。そうしてまた歩き出す。この数年間の彼女を、僕は知らない。知らないけれど、僕も、彼女も、何も変わっていない、変われない。僕たちは、ずっと臆病なままだ。

かくめいぜんや