「起きろ、準備しろ」

頬を撫でられる感覚で目を覚ました。部屋の主、中也は寝台に腰掛けて私を見下ろしている。「準備しろ」もう一度云うと今度は布団をひっぺがした。一糸纏わぬ私に冷たい空気が急に触れて、剥がされたそれへ手を伸ばすが私の手がシーツを掴むよりも、中也が私の手を捕らえるほうが早かった。「準備しろって」ほんの少し中也の手に力が込められたので私が「わかった、わかったから」と云えば中也の手はいとも簡単に離れていく。けれど私は未だに純白の海に溺れている。

「起きろ」
「起きてる」
「身体を起こすんだよ」
「起こして〜」

幼子が抱っこを強請るかの如く両腕を伸ばせば、中也は溜め息をひとつ。そして軽々と私を抱き上げ、そのままウォークインクローゼットへと連れていく。

「何処行くの?」
「フレンチ」
「コース料理やだなぁ」
「文句云うな」
「私マナーとかわかんないし」
「個室だから誰も見ねぇよ」
「中也は見るじゃん」
「俺しか見ねぇ」

喋りながらも中也は私に服を着せていく。下着、洋服、靴下、髪も中也が結って、アクセサリーも付けたら、中也好みの「お人形さん」の完成。「靴は……この間購ったやつにするか」この間購ったやつ、ヒールが高くて嫌いなやつ。中也はよく私にヒールの高い靴を履かせる。しかし文句は云えない、云わない。「あれ歩きづらい……」これは文句ではなく意見。「車だ」「駐車場までは歩く、し、お店も席に着くまで歩く、から、やだ」これも意見。決して文句では無い。「抱っこして運んでやろうか?」どうやら私の意見はご意見箱には入らなかったらしい。これがもしお店で私が消費者なら「客の意見を無視するなんて何事だ!」と云えるものの、私と中也はそういう関係では無いので諦めるしかない。「それは大丈夫」周りの視線も気になるし、という言葉は呑み込んでそう伝えたけれど中也は何も返さなかった。しかし中也はその後ぼそりと「歩けなくなっちまえばいいのに」。その言葉は私の耳に届いたけれど私は何も言わなかった。歩けなくなったら、中也は私をどうするのだろう。と、私に歩くための靴を履かせる中也を見る。

「ほら行くぞ」

差し出された手に自分の手を重ねて立ち上がるも、矢っ張りヒールが高くて安定しない。ぐらつきそうになるのを中也が支える。繋がれた手を見て心底幸せそうな顔をする中也に、もう手なんて何度も繋いでいるのに相変わらずだなと思う。



「その靴にして正解だったな」

「似合ってる」と続けられた言葉に「そうかな」と一言。そうかな、は決して「似合ってる?ほんとに?」と疑っている訳ではなくて、抑々中也は私に似合わないものを購わないし。ただ私はこの靴を履かされたことに未だに少し、ほんの少しだけ腹を立てているのでせめてもの抵抗で「そうかな」なのだ。

「赤いやつもあっただろ、それ。今度そっちも購うか」
「赤い靴履くと攫われちゃうんだよ」
「そんなに厭か」
「靴を口実にしないと手を繋げない中也が厭」

飼い主のくせにまるで壊れ物を扱うかのように私に触るのだから。理由が無ければ私に触れようとしないのだから。私はそんな簡単に壊れたりしないし、望んで中也の傍に居るのに。云ってやらないけど。「……攫われねぇように繋いでんだよ」。嘘ばっかり。だって私を攫ったのは中也だもの。

***

「いらっしゃいませ」と迎え入れられたお店は華美で一目でお高いところなんだろうな、とわかる。「中原様、いつもご贔屓にありがとうございます」と給仕の女が奥へと案内する。いつも、ということは中也はいつも来ているのか。私は此処へ来るのは初めてだった。
案内された個室もこれまた綺麗だ。私が内装や装飾品に見惚れている間に中也と一言二言交わした給仕は「どうぞごゆっくり」と出て行った。暫くしてまた給仕はやって来て料理をテーブルへ載せる。給仕が出て行った後に並べられたたくさんの銀を眺める。どれを何の料理に使うのか見当のつかない私は、目の前で同じものを食べる中也を見乍ら、彼が使っているものと同じ食器に手を伸ばす。食べ乍ら話すのは行儀が悪いと中也に怒られそうだけれど気になるので話しかけた。

「此処、初めて来た」
「初めて連れて来たからな」

どうやら怒られないらしいので、食べて、飲み込んで、また話す。

「中也はいつも来てる」
「仕事だ」
「ふぅん」
「疑ってんな?」
「別に。でも中也のお仕事場には綺麗な人たぁくさんいるでしょ」
「何だよ、嫉妬か?」
「そうだよ」
「浮気なんてしてねぇから安心しろよ」

「ほんとに?」と口に出そうとすれば扉が開いてまた料理が運ばれてきたので口を噤んだ。勿論浮気なんて疑っていないので、その言葉が私の口から出ることは無かった。
料理の説明を何となく聞いて、給仕が去った後にメインの一つだと運ばれてきたそれを口にし、咀嚼すれば、「美味いか?」と中也がそんなことを訊いてくる。私は少ししょっぱいという言葉を料理と一緒に飲み込んだ。

「おいしい」

中也は「そうか」と一言。それからまた食べ進める。中也は、食べ方が綺麗だ。口の悪さや、仕事ぶりからは想像がつかないほどに。中也は上流階級の人間のように、動作の一つ一つが洗練されていた。ふと、ものの食べ方は性交の仕方だといつか誰かに聞いたことを思い出す。中也のセックスは丁寧だ。自分本位で動くことは絶対に無いし、私をよく気遣う。成る程、ものの食べ方は性交の仕方、というのは案外中っている。

もう一つのメインの肉料理、骨付き肉が運ばれてきて、私はこれも中也が何の銀を使うのか確認し、同じものを手に取った。そうして暫く銀を使い、丁寧に食べていた中也だったけれど、残りが半分くらいになったところで中也は銀を置いた。

「どうしたの」
「止めだ」
「え」
「此処は個室だし、手前と俺しかいねぇ。だから、多少のマナー違反は誰も咎めねぇだろ」

中也は肉を手で掴み、そのまま噛り付いた。

「ん、美味ぇな」

赤い舌が覗いて、肉を飲み込んでいく。先程まで銀を使い食事をしていた人間と同じとは思えなかった。まるで獣のように、けれど決して粗雑ではなく、肉を貪っていく。

ものの食べ方は性交の仕方だ。
私はぶるり、と背筋が震えた。中也が、もし、もしも、こんな風に、私を抱いたら。こうやって、私に触れたら。獣のように、本能の赴くまま。想像しただけで、うっとりしてしまう。肉を食べ終え、指を一舐めした中也が、私を見て、目を細めて笑った。

「すんげぇ、厭らしい顔」

今夜は、どうやって私を抱いてくれるのだろう。

その美しさでどうぞ汚して