太宰がほんのちょっと出る
「お前を抱きたい」

何の前触れもなく隣から聞こえた言葉に、軽快な音を立て乍ら匙が落ちた。私はそれを拾うのも忘れて、隣に座る織田作さんを見る。

「え、っと」
「悪い。聞こえなかったか」

、お前を抱きたい。もう一度紡がれたそれは私の耳にはっきりと届いていた。抱きたい。抱きたい、って、そういうこと?言葉がぐるぐると頭の中で回る。私たちは恋人だし、そういうことをしたって何らおかしくはない。付き合って二年も経つのにそういうことが一切無い方がおかしいのかもしれない。私は織田作さんが初めての恋人なので、世間一般のそういう仲の男女が皆そうなのかは判らないが。

「親爺、すまん、匙ひとつ貰えるか」

親爺さんは一瞬驚いたものの、どこか気まずそうな顔で新しい匙を差し出してくれた。私の落とした匙はいつの間にか織田作さんの手に握られている。

「あっ御免なさい」
「いやいや、いいよいいよ。今のは織田作ちゃんが悪いよ」

ねえ?と私に問いかける親爺さんに「あはは……」と返すことしかできない。織田作さんは織田作さんで「そうなのか?すまない」と残りのカレーを口にし始めたし……。もっとフラットに返すべきだったんだろうか。「勿論!」とか「いいですよ」とか?「私も同じこと云おうとしてたんですよ」とか?違うか……。
悶々と考える私に「冷めるぞ」と織田作さんが云う。誰の所為だと思ってるんですか!と云いたいところだけど、美味しいカレーが冷めてしまうのは嫌なので、其れを口に運ぶ。織田作さんのお墨付きなだけあって本当に此処のカレーは美味しい。私も織田作さんも、あっという間に完食。

「親爺、ご馳走様」
「ご馳走様でした」

「あいよ!いつもありがとね!」と笑う親爺さんと一言二言会話して、店を後にする。織田作さんはこれから仕事らしく、途中で別れることになった。「送ってやれなくてすまない」と云う織田作さんに「大丈夫ですよ。お仕事頑張ってくださいね」と背を向けようとしたら、腕を掴まれた。

、先刻の件考えておいてくれ」

今日は早く仕事を終えられそうだから、と織田作さんが真剣な顔で云う。私は「先刻の件」のことが判らなかったが、すぐに合点がいき、思わず「は、はははい!」と云ってしまった。それを聞いた織田作さんは頷いて、職場へ向かった。先刻の件、って、つまり、そういうことだよね……?と私は熱くなった顔を押さえ、どうしようと考える。とりあえず……、新しい下着でも購いに行くか。


「いらっしゃいませ〜」

平日の昼過ぎだからなのか、大型商業施設に入っている下着専門店は閑散としていた。間延びした店員の声が響く。店内を見回す。織田作さんって、どういうのが好みなんだろう。いきなりあんなことを云われたとはいえ、私だって織田作さんとそういうことをしたい気持ちはあるし、喜ばせてあげたい。

「おや、ちゃんじゃないか」

また悶々と考え始めた私の耳に届いた声の主は、以前織田作さんが友人だと紹介してくれた太宰さんだった。

「太宰さん、こんにちは」
「やぁ。もしかして織田作の好みの下着でも探してる?」
「何で判ったんですか……!?」
「私に判らないことなんて無いのさ。織田作はちゃんが身に着けてるなら何でも喜びそうだけど……、敢えてお薦めするならこれかな」

何だか楽しそうな太宰さんが選んだのは、可愛らしい白い笹絹の下着だった。上下一組販売。税込み二万三千円也。上はまだ善い。触り心地の良い絹素材だ。可愛い。問題は下だ。綬になっている。何とも可愛らしいが、これは所謂紐パンというやつなのでは……。

「……これ、は、私にはちょっと……」
「えぇ、可愛いと思うのだけど」

絶対に似合うよと太宰さんは云うが、似合う似合わないでは無く恥ずかしい。どうするべきか、悩んでいる私に太宰さんがそっと耳を寄せる。「男はね、誰だって好きな子の綬を解きたいのだよ」私の財布から二万三千円が消えた。



仕事を終え帰宅した織田作さんと夕食を取り、お風呂に入り、私は今寝台の上で織田作さんがお風呂から出るのを待っていた。こういうときって、どうするべきなんだろう。横になると寝てしまいそうだ、と寝台の端に腰掛けて何とか平静を保っている。お購い上げした「織田作さんの好みそうな」下着はきちんと身に着けた。綬が上手く結べなかったけど。

「待たせたな」

お風呂上がりで、上半身は裸の織田作さんが寝台へ近付く。きちんと筋肉の付いた躰に、男の人なんだな、と実感した。ギシ、と寝台が鳴った。織田作さんが「、お前を抱きたい」と昼間と同じ言葉を口にする。次いで、「いいか?」と。ここで嫌だと云えば屹度止めてくれる。織田作さんはそういう人だ。けれど、私だって、覚悟を決めて来た。こくり、と頷けば、織田作さんの唇が私の唇に触れた。そのまま私の寝巻に手を掛ける。プツン、プツン、釦が外れていく。全部外れたところで、織田作さんが動きを止めた。

「……変、ですか」

太宰さんが選んでくれたんですけど、と小さく云えば、織田作さんは一瞬眉を上げた。

「太宰が選んだのか」
「はい。お店で、偶然会って……。織田作さんの好みを訊いたんです」

何だか織田作さんの顔が険しくなっている……ような……。気のせいだろうか。織田作さんは数秒何かを考えた後、小さく息を吐いた。「可愛い、が傷付けそうでこわいな」、そう云って壊れ物でも触るかのように、私の後ろに手を回した。もしかして、と私は無粋だと判り乍らも「……嫉妬、してますか」。私の言葉に織田作さんは「そういう訳では、」と首を横に振った。けれど、すぐに「いや」と私を見詰める。

「面白くない、と云えばそうだな」

するり、綬が解ける。内腿に織田作さんの手が触れて「ん、」私は声を洩らす。織田作さんはそこに口付け、「次は、一緒に行こう」と云った。私は擽ったさに身を捩り乍ら頷いた。また、唇が触れる。織田作さんは優しい顔で云う。「俺が選んだものを、身に着けて欲しい」。夜はまだ、始まったばかりだ。

リボンを解く夜
(リクエスト企画 / 織田作でお任せ)