「、それ欲しいの?」
を街へ連れ出したフィガロは、がその日記帳をじっと見つめていることに気付くと、そう声をかけた。それにぶんぶんと首を横に振ったは、フィガロの手を取ると次の店へ行こうと急かす。
街へ行こうと提案したのはフィガロで、それは今日が特別な日だからだった。は自分の誕生日を知らない。それならばフィガロがを拾った日を誕生日にしようと、フィガロが言ったのだ。ちょうど今日で十年。フィガロは今日という特別な日に、に何かしてあげたかった。だから街へ連れ出したというのに、買い物は日用品やフィガロの好きな酒など、そういうものばかりで、は何も強請らなかった。
「、欲しいものないの?」
「……ありません」
「本当? 今日は特別な日だから、何でもフィガロ様が買ってあげるよ」
得意げに胸を張ったフィガロがそう言うも、は「何もいりません」と言うだけだった。
「フィガロさまがそばにいてくれれば、それだけでしあわせですから」
街中の喧騒に混じった声だったけれど、その声はフィガロの耳によく届いた。
***
「フィガロさま、どうですか?」
は隣に立つフィガロにスプーンを差し出した。はまだシチューを作るのには慣れていなくて、不慣れな料理はよくこうしてフィガロが味見係になっている。
差し出されたスプーンを口にしたフィガロは「美味しいよ」と一言。は自身でも味見をして、確かに美味しいと感じた。けれどにとって「良い料理」は、美味しさよりもフィガロがその味を気に入るかどうかだった。
「フィガロさまのおすきなあじですか?」
「ん? うーん……もうちょっと薄いほうが好みかな」
「わかりました」
そう言って少しずつ水を足して味を調整していくを、フィガロは嬉しそうな顔で見つめる。が自分のためだけに、自分の好むように作ってくれている、それがフィガロにとっては幸せだから。
街で買い物をしていたときから、今日の夕飯はの好きなものを好きなだけ好きなように作っていいとフィガロは言ったのだ。はその言葉に礼を述べた後「フィガロさまがおいしいっていってくれるものが、わたしのすきなものですから」と、最終的にはフィガロが食べたいと言ったシチューを作ることになった。
今日という特別な日に、だけに料理をさせるわけにはいかないとフィガロも手伝うことにしたけれど、の希望もあり、フィガロの仕事は結局最後まで味見係だった。
「お誕生日おめでとう、」
ワインの入ったグラスを掲げたフィガロが優しい声で言う。もジュースの入ったグラスを掲げると、頬を赤らめて「ありがとうございます」と笑った。チリンとグラスがぶつかる音が響く。
「そうだ。これ、俺からのプレゼント」
フィガロが指を鳴らすと、の前に一冊の日記帳が現れた。それはが街中で目を留めたもので、表紙に魔法陣のような図が描かれている。金で装飾されたそれは美しく、は思わず「きれい……」と表面をなぞった。
「気に入ってくれた?」
「はい。でも、どうしてこれ……」
「街で見てただろ。は口にはしなかったけど、それ欲しかったんでしょ」
「……ごめんなさい」
フィガロから目を逸らしたに、フィガロは「なんで謝るの?」と苦笑した。フィガロは、もっと別の言葉を聞きたかったから。
は自分を拾ってくれただけで、フィガロに感謝してもしきれないくらいの恩を感じている。それなのに、フィガロの家族でも恋人でもない自分が贈り物まで貰っていいのだろうかと、引け目を感じているのだ。けれどフィガロからプレゼントを貰うのは初めてで、それはすごく嬉しく思っている。正直にそれを伝えたに、フィガロはほんの少しだけ目を開いた。「俺たちって何なんだろうねぇ」と呟いた言葉が、の耳に届くことはなかった。
フィガロは人好きのする優しい笑みを浮かべると「俺はからもっと別の言葉が聞きたいな」と言う。それに一瞬首を傾げただったけれど、すぐに花が綻んだような笑顔で言った。
「ありがとうございます、フィガロさま」