「そう……。あの二人に聞いたんだ」
フィガロの膝上から隣に移動したは、俯いたまま頷いた。しん、と静まり返った空気は重く冷たく、風が窓を揺らす音がやけに響いていた。やがて静寂を破ったのはで、は膝上で握った拳に力を入れたまま「私、フィガロ様が好きなんです……」と小さな声で言った。を一瞥したフィガロは、肘掛けに置いた片手で自身の額を覆うと「本気で言ってる?」と突き放すような声を出した。
「が捨てられたのは俺のせいだって、わかってる?」
「……はい。わかってます」
「それは、何。俺に恋心を抱いてるってこと?」
「そうです。フィガロ様を、愛しています。いけませんか」
俯いていた顔を上げたは、フィガロに顔を向ける。は今まではっきりと口にしたことはなかったそれを、今、初めて口にして緊張していた。喉が焼けるように熱くて、寒くもないのに身体が震えて、瞬きも出来ないくらいに。フィガロはを見ずに長い溜め息を吐いた。「のそれは、恋でも愛でもないよ」とひどく冷たい声が響いた。
「たかだか数十年しか生きていないに、愛がわかるの?」
外の風が強くなっていた。段々と大きな音を立てる窓を眺めながらフィガロが独り言のように呟いた。「のそれは、アーサーがオズに向けている感情と同じだ」と。
は全身から汗が噴き出すみたいだった。ブワ、と身体が熱くなって、膝上の拳を握り込む。耐えられなかった。今すぐこの場から逃げ出したかった。逃げ出したところで、に行く場所はないというのに。
「……フィガロ様こそ、長生きのくせに愛を知らないんですね」
の言葉に、フィガロの眉がピクリと動いた。はフィガロに反抗したことはなかったし、いつだって素直だった。二人は真面にぶつかり合ったことがないのだ。再び静まり返った空気はさらに重く冷たいけれど、二人には必要な空気だった。
「もういいです」と今までにないほど強い声で言ったは立ち上がる。そのまま適当に自分の荷物をまとめると「出て行きます。お世話になりました」と早口に言って頭を下げた。
「ちょっ……」
へ手を伸ばそうとしたフィガロはその手をすぐに引っ込める。何か言いかけたけれどすぐに閉じて、また口を開いたフィガロが言った。
「どこにでも行けばいい。の居場所はここにはないよ」
***
「最低じゃな」
「最低じゃ」
「最低ですね」
スノウ、ホワイト、シャイロックの三人から総攻撃を受けたフィガロは「皆ひどくない?」と肩を落とした。
が出て行ってからはや数日。フィガロは毎日落ち着かなかった。には他に行くところなんてない。考えなくともフィガロにはそれがわかるはずなのに、どこにでも行けばいいなどと言ったことを、柄にもなく後悔していた。
と暮らすようになってからフィガロはと共にテーブルを囲っていた。酒場に来るのは久しぶりだったのだ。そこでと言い合いになったことを話していれば、いつから聞いていたのか双子も話に混ざってきた。シャイロックの店ではそういう自分らしくない話も出来てしまうのだから場の雰囲気というのは恐ろしい。酒に強くない二人は度数の低いお揃いのカクテルを仲良く飲んでいる。
「酷いのはフィガロのほうじゃ。の気持ちを受け入れられないのなら、さっさと手放すべきじゃったな」
ホワイトの言葉に、フィガロは「は人間ですよ」とグラスを揺らしながら言う。シャイロックは他の客の酒を作りながらも、三人の会話に耳を傾けていた。
「俺が彼女を愛し続けても、彼女の愛は一過性のものでしかないでしょ」
カラカラとグラスの中の氷が揺れたかと思えば、フィガロは中身を一気に仰ぐ。「おかわり頂戴」とシャイロックにグラスを差し出した。それを受け取りながらシャイロックは「だから彼女の記憶をいじっていたのですか?」と微笑んだ。
「なんでそれ」
「つい口が滑っちゃって。シャイロックに話しちゃった」
「ごめんね」と可愛らしく謝ったのはスノウ。スノウとホワイトはが二人の元を訪ねたときに気が付いたらしい。
フィガロはずっとに好きだと言われるのが嬉しい反面、恐ろしく感じていた。に好きになってもらう資格など持っていない、けれど愛されたい。でもは人間で、フィガロは魔法使い。どうしたって時間の感覚が違う。孤独を経験する時間も。の愛が一過性のものだったら、いつか自分を忘れてしまうのなら、置いて行かれるのなら、それなら最初からないほうが良い。何度もそう考えて、の記憶をいじったのだ。自分への恋心を忘れるように。それなのに、フィガロは自身を手放せなかった。
「はそれに気付いておったのじゃ」
ホワイトがそう言って指をすいと動かせば、フィガロの前に一冊の日記帳が現れた。見覚えのあるそれに「これ……」と呟いたフィガロが表紙をなぞる。
「気付いていて、知らぬふりをしていたのじゃよ」
今度はスノウが言う。「なんでかわかる? フィガロちゃん」と、スノウは愛し子を見るかのような目で問うた。フィガロは「さあ……」と日記帳に目を落としたまま、知らないふりをする。気付かないふりをする。ホワイトはそんなフィガロを見て「ならば今知れば良い」とフィガロの頭を撫でた。
「これはから預かってくれと頼まれたのじゃ」とスノウが日記帳を開いた。人の日記帳を勝手に見るのは如何なものか、などと考える魔法使いは生憎この場にはいなかった。シャイロックも興味深そうに身を乗り出して日記帳を覗く。今日は客が少なく、店はいつもより静かだった。