最初に彼女を見初めたのは“僕”だった。
富める者は与えなければならない。それは赤司家にも課せられ、先祖代々受け継がれてきたものだった。オレも僕も例外ではなく、オレたちは「シラユリ館」という孤児院でその責務を果たしていた。月に一度「面会日」と呼ばれる日に入れる者は限られ、その入れる者たちは「出資者」と呼ばれた。シラユリ館は、孤児を引き取り面倒を見ている施設だが、子供たちは十六歳になると施設を出る。それまでに孤児院の大人たちが子供たちの家族を見繕う。育ての親或いは家族として適切だと判断が下された場合にのみ、出資者には真実が伝えられる。この施設にいる子供たちは全員人間ではなく、吸血鬼であると。
「シラユリ館から子供を引き取った家は繁栄する」という噂を耳にしたのは、オレたちがシラユリ館へ通い始めて数か月経った頃だった。責務を果たすためならばこの施設でなくても問題はない。なぜ父が当時ここを勧めたのか、オレも僕もそのとき理解したのだ。
初めて彼女に会ったとき、彼女はまだ十歳だった。「面会日」の過ごし方は様々で、施設の大人たちは社会性を身に着けさせるために「出来る限り外から来た大人の人とお話ししましょう」と言っていたが、一人で過ごす子供を咎めることはしない。他の出資者の人間もいたからその大人たちと遊ぶ子供もいたし、一人で過ごす子供もいた。彼女は一人で過ごす子供だった。友人がいない様子ではなかったが、その日は一人で絵本を読んでいた。

「こんにちは」

彼女に声を掛けたのは、ここにいる子供たちを把握するためとも言えるし、ただの気紛れとも言える。そこに明確な理由はなかった。彼女は読んでいた本から顔を上げると「こんにちは」と小さな声で返してくれた。

「なにを読んでるの?」
「……くろ、くろい、……おんなさん、と、……これはなんてよむんですか?」
「これは「まじょ」だね」
「くろい、まじょさん、のおにわ、です!」

当時の彼女はまだ難しい漢字や言葉は不得手だったが、人見知りなどすることなく普通に会話は出来た。『黒い魔女さんのお庭』は魔女が自分の庭園を手入れする話で、彼女はその絵本に出てくる植物に興味を持っていた。他愛のない話を交えながら彼女がそれを読むのを手伝ったのは今でも大切な思い出のひとつ。
翌月の「面会日」はオレではなく、“僕”が顔を出した。滅多に表に出ることはなくなったが全くないわけではない。例えば私生活やら学校での活動やら、様々なものが重なって疲労が溢れそうなときに顔を出すこともあった。「面会日」の日は決まっている。“僕”が顔を出したのは偶然だったけれど、幸いなことに大人も子供も、施設の誰もオレたちのそういう事情は知らない。子供たちと遊び、施設の大人たちと言葉を交わし、いつも通りの「面会日」だった。だからいつも通り、ひとりで絵本を読んでいた彼女に声を掛けた。

「こんにちは」
「こんにちは」
「今日は何を読んでいるの」
「くろいまじょさん、うみへいく、です!」
「僕が教えた「魔女」、きちんと読めるようになったね」
「? お兄さんじゃ、ないです」

オレと僕は記憶は共有していたが感情までは共有していなかった。あくまでもオレはオレであり、僕は僕。僕は特に自身を“個”として認められることに執着していたように思う。だから彼女が「お兄さんだけど、お兄さんじゃないです」と続けたときひどく驚いたのだ。他の誰も、気が付かなかったのに。

「前のお兄さんのほうがやさしそうでした」
「僕は優しそうに見えない?」
「う……わかんない……」
「ごめん、困らせたね。また来月来るよ」

思えばこのときから、オレにも僕にも、彼女を迎え入れたいという気持ちが、特別な感情が芽生えていた。

大学を卒業して間もなく、彼女を引き取りたいと申し出たとき館長は快く頷いてくれた。無論彼女の家族として相応しいか見定めたうえで。赤司の血は言ってしまえばブランドだ。館長がそういうブランドだけを気にする人間でないことは知っているが、判断基準の一つにはなっているだろう。
十六歳になった彼女を迎えに行ったとき、「すっかり大人になった」と発したのはオレだっただろうか、僕だっただろうか。どちらもだったかもしれない。彼女との生活は楽しかった。勤勉で読書家なところには好感が持てたし、何より帰ったとき「おかえりなさい」と言ってくれる彼女をオレも僕も愛している。
吸血鬼は愛した者がいるとその者の血でしか生きられない。それを知っているのはごく僅かな人間だけ。オレたち人間は愚かで狡い。そうやって彼ら吸血鬼を、あなたたちのためだと言って管理してきたのだから。心底彼女を想うなら、最初から全てを教え、そのうえで愛を育むべきだ。それがきっと人として正しくあるべき姿なのだろう。けれどオレも僕も、彼女が離れていくのがこわかった。置いて行かれたくなかった。吸血鬼は不老だが不死ではない。しかし彼らの生は永遠に続くかと思われるほど長い。
十八歳を迎え、吸血鬼として完全体になった彼女は、オレたちの血でしか生きられない。

「、んっ、……んぅ、ごちそうさまでした」
「もういいの?」
「はい」
「オレの血は甘い?」
「はい。甘くて、美味しいです」
「そう。よかった」

吸血鬼は愛した者の血を甘く感じるらしい。オレたちはいつもそうやって彼女が自分を愛してくれていることを確かめている。彼女の目に僕たちはどう映っているだろう。いっそ醜く穢れた大人に映っていれば良いのに、とさえ思う。けれど彼女はいつも言う。「私、征十郎さんが好きですよ。愛してます」と。僕たちは愚かで狡い。黒く澱んだ薄汚い執着心を彼女に知られたくなくてそれをひた隠しにしている。彼女を想うなら、彼女を愛しているなら、己に縛り付けてはいけないと分かっているのに。それでも僕たちは彼女を手放せない。吸血鬼の生は長い。置いて行かれるくらいなら、この身諸共朽ちてしまいたい。だからオレも僕も、生涯をかけて彼女を愛そうと誓ったんだ。

(きみがくれた呼吸が発光している / 20220805)
title by オーロラ片「null cube11」