03 昼時の店

って、ですか?」

ライブラ事務所内で書類仕事の最中だったレオナルドは、今しがたスティーブンの口から出た名前にフルネームを訊ねれば、スティーブンは少し驚いたふうに瞬きをした後「知ってるのかい?」と一言。レオナルドはそれに頷くと、スマートフォンを取り出して週刊誌のウェブ版を画面に表示させた。近頃は雑誌も電子書籍化されて手軽に手に入る。
今話題の芸能人に流行りのグルメ、政治に経済、スポーツまで幅広い記事が掲載されたその週刊誌はスティーブンも時々買っているものだった。内容が手広い割に記事の精度が高く濃密で、HLがまだ紐育だった頃からある。大崩落前と後で取り扱う内容は多少変わったが、読者数は右肩上がりだった。
スティーブンの言葉に頷いたレオナルドは、つい昨日発売されたばかりのその雑誌の一部を拡大して、ジャーナリストとしてのの名前が記された箇所を指した。

「時々買ってるんすよ。写真とか記事とか、参考になるんで。面白いですよね、この人の記事」
「そういえば、少年は新聞記者だったな」

スティーブンは雑誌を読むときにいちいち記者の名前など気にしたことはなかったが、そう言われると次読んだときは注目してしまう気がした。

「スティーブンさん、知り合いなんすね」
「あー……まあ、うん。いや、実は恋人だったんだ」
「へえ!? え、……だった?」
「フラれたんだよ、僕」

レオナルドはザップが遅刻していて良かったなあ、と思う。もし今ここにザップがいたら余計なことを(スターフェイズさんがフラれるとかレアっすね、とか)言って氷漬けにされるだろう。その光景は神々の義眼がなくとも想像に容易い。「僕はまだ好きなんだけどさぁ」と続けられた言葉に、レオナルドは手にしたスマートフォンを落としそうになった。落とす前にそれをポケットにしまったレオナルドは、慎重に言葉を探す。けれどレオナルドが適切な言葉を見つける前にスティーブンが口を開いた。

「笑えるだろ。三十路のおじさんがフラれたくらいでへこんでて」
「いや……、えーっと……なんていうか、スティーブンさんにもそういうところあるんですね。なんか、あんまり他人に執着とかしなさそうだから」

去るもの追わずって感じです、と言われて、スティーブンは目をぱちくりさせた。まずいことを言ったか、と思ったレオナルドだったがスティーブンは普段の調子で「さ、仕事に戻るぞ」と言ったからそれ以上は何も言わなかったし訊かなかった。


スティーブンがに近付いたのは当時がある政治家の男と関わりを持っていたからで、その男は血界の眷属兵士計画を目論んでいるという噂があったが、情報が圧倒的に少なかった。スティーブンが政財界の人間も顔を出す高級なバーに情報収集も兼ねて足を運んだとき、そこでの姿を見たのは偶然に過ぎない。しかしこれ幸いとばかりにスティーブンはに近付き、甘い言葉を囁き、あなたに気があるのだとその容姿と巧みな話術で彼女を恋人という関係にまで持っていった。女から情報を取るなんて容易い。そう思っていたのに、は驚くほど何も話さなかった。あからさまに訊くのはご法度。それとなく訊ねても、は上手いこと躱した。酒で酔わせれば、性交の最中なら、使える手を使ってその口を割ろうとしたが、終ぞは口を割らなかった。の仕事熱心ぶりはスティーブンの想像を遥かに超えていたのだ。

「今日もサブウェイ? 毎日食べてて飽きないのかい?」

新聞ではなくスマートフォンを片手に、えびアボカドのサンドウィッチを頬張るは、やはりスティーブンを一瞥すると画面に目を戻した。

「無視はひどくないか」
「……あなたの脳味噌って容量1ビットしかないの?」
「失礼だなぁ。もっとあるよ」
「ならその頭の中に「私に近付かない」ってデータを入れておいてくれる」
「残念、他のデータで容量がいっぱいみたいだ。例えば君との思い出とか」
「向かいの電気屋でUSBを買うといいわ」

今在庫処分セール中よ、とはサンドウィッチの包みをぐしゃぐしゃにすると立ち上がった。スティーブンの横を通り過ぎようとしただったが、トレイを持つ腕をぐい、とスティーブンに引かれた。その拍子にトレイの上から空になったホットコーヒーのカップが乾いた音を立てながら床に落ちる。スティーブンはそれを拾い上げ、流れるような動作での手からトレイを奪うと、彼女の手を取って「もう一度やり直そう」と言った。昼時の混雑する店内で、その声はの耳にひどくクリアに聞こえたのだ。