06 赤い告白

スティーブンがに仮初めの愛を囁いていた頃、は一度だけデートの約束を当日になってキャンセルしたことがある。スティーブンは詳細は聞かされなかったが、その日街中をあのヒールで駆け回るを見かけて仕事が入ったのだと察し、謝罪と今度埋め合わせをするからという旨のメッセージに、気にしなくていいよと紳士然な返信をした。
その翌々日に発売された週刊誌には、スティーブンも何度か面識のある政治家の男が、女性職員へ何度も猥褻行為を働いていたと書かれた記事が掲載された。それだけに留まらず、横領に暴行など、探れば探るほど余罪が出てきた。スティーブンは記事の片隅に載った記者の名前を見て、はずっとこれを追っていたのだと気付く。「女性だからって不当に扱われる謂われはないわよ」と、いつかは言っていた。生まれ持ったものに振り回される人生は真っ平で、権利は性別問わず与えられるものである、と。は自身の正義を貫いた。それが身勝手でも我儘でしかなくても、はいつもそうだった。スティーブンはのそういうところが羨ましくもあり好ましくもあった。自分とは違う、自分には出来ない生き方。しかしスティーブンの気持ちが憧憬から慕情に変わった頃には、とうには全てを知っていた。

「君が好きなんだ」

弱々しく吐かれた言葉には小さく息を吐く。それからスティーブンの肩をぐっと押して距離を取れば、そこにいたのは普段のスマートで紳士なスティーブンではなくて、小さな子供みたいに泣き出しそうな顔をした自分より若い男だった。たった一歳しか変わらないのに、にはその一歳がとてつもなく大きく感じた。「もう一度やり直したい」と言いながらポケットから潰れてしまった箱を取り出したスティーブンに、は思わず吹き出す。

「なんで笑うんだ!?」
「だって、ふふっ……スティーブン、顔も声も真剣なのに服と箱はぐしゃぐしゃで、なんか面白くて」
「仕方ないだろ。新しく用意する暇も着替えてる暇もなかったんだ」
「ごめんなさい、意地悪だったわね」

は扉から離れると、玄関端の長椅子に腰掛けて「正直に言うと、私はまだ気持ちの整理が出来ていないの」とスティーブンを見上げた。はストッキング越しに感じる床の温度から逃げるように、爪先を上に向けて足を組む。

「でも、あなたが泥だらけのまま待ち合わせ場所にいたのは嬉しかった」

以前の関係なら、取り繕わないスティーブンなんては見られなかった。スティーブンはいつだってスマートで、甘い言葉を囁き優しい態度で接する紳士だった。贈り物も愛情表現のひとつで、それを否定する気はないがは花束も高価なプレゼントも望んではいない。それよりもスティーブンがグチャグチャの格好を自分の前に晒したことのほうが嬉しかった。薄氷のなかに隠された本音が透けて見える気がしたから。

「次は信じさせてくれる? あなたの気持ちが本物だって」

スティーブンはその言葉に「ああ、勿論」と頷くと、潰れてしまった箱をに差し出した。開けてみて、と言われは丁寧に箱を開く。中身はが仕事のときに使っているものと同じ真っ赤な口紅だった。スティーブンはがそれを受け取ったのを確認すると、次は玄関に転がったままのヒールを手に取り、ほとんど乾いた泥を自身のハンカチでさっと落とした。

「真っ赤な口紅も、このヒールも、君には似合わないよ」

言いながらの足元に跪いたスティーブンはの足を取ると彼女のクリスチャン・ルブタンを、壊れものを扱うかのように、そうっとその足に履かせた。

「でも、俺はこれを履いてるが好きなんだ」

は「あなたって本当可愛げがないわね」と言いながら、まだ少し泥が残ったままのヒールを見てクツクツと喉を鳴らした。それから先程スティーブンに貰った赤色を唇にのせると、スティーブンの、泥だらけのスーツの襟を引いて強引に口付けた。お礼が半分、仕返しが半分。数十分前のそのときより鮮明にスティーブンの唇に赤色が移り、はそれを見て満足そうに微笑んだ。「でも」とがスティーブンとおそろいの赤い唇を開く。

「私は泥だらけで可愛げのないスティーブンが好きよ」