キッチンから、というか冷蔵庫から妙な音がする。
特別寝付けないとか、そういうわけではなくてただ目が覚めただけだった。照らしたスマートフォンの画面には深夜の三時を知らせる時計。ガサガサゴソゴソ。まるで誰かが冷蔵庫を漁っているような、そんな音。泥棒? 不審者? ネズミとか? いろんな考えが頭を過る。ここはオートロック付きマンションの七階。戸締りもきちんとした。誰かが侵入するのは難しい、はず。害獣や害虫の類も住み始めてから出たことはない。対策もしているし掃除もこまめにしている。出ないで欲しい。このまま知らないふりが出来るはずもなく、物音を立てないようにベッドから出て、念の為武器になりそうな何かを静かに探す。真っ先に目に入ったのは広辞苑で、これなら投げても殴りつけてもいける、とそれを手に取って、ゆっくり扉へ近付いた。寝室からキッチンまでは近い。
ガサ、ガサガサガサ、ゴソゴソ、プシュ、ピリピリ、いろんな音がする。もしかして、お腹を空かせた不審者だろうか。人の家で勝手にタダ飯を食らっているというのか。そう考えたら無性に腹立たしくなってきた。私だって一生懸命バイトして生活費を稼いでいるのだ。許せん。
「成敗!!」
「なんだ、まだ起きてたのか?」
勢い良く扉を開けて広辞苑を振りかざせば、そこにいたのは蒼也さん──一つ年上の、この家の合鍵を持つ私の恋人である──だった。はへ、と間抜けな声が出て気が抜けて広辞苑を思いっきり自分の足に落とした後にそれは床に鈍い音を立てて転がった。下の階の人、ごめんなさい。寝てるといいな。
「いっ……!」
「おい、大丈夫か。そそっかしいな」
「だって、不審者かと思ったら蒼也さんだったから……。いつも来るときは連絡くれるのに……」
「すまん。諏訪にたまにはサプライズでもしてやったらどうだと言われたんだ。それに、寝てるかと思って」
サプライズって、多分そういうことじゃないと思う。でも普段忙しい蒼也さんに会えたのは嬉しいから、それを言うのはちょっと憚られた。文句は後日大学で諏訪さんに言うことにした。
「腹が減ってたから冷蔵庫の中のもの貰ったぞ。後で返す」
「いいですよ、それくらい。この時間までボーダーのお仕事だったんですか?」
「ああ。その後太刀川の課題を少し手伝ってやった」
だから本当はもう少しはやくうちに来るはずだったのだと、蒼也さんはセール品のシールが貼られた生ハムを食べながら、それを蒼也さんのために置いているビールで流し込んだ。
「
、明日、というかもう今日か。何限からだ?」
「4限からです」
「なら一回は出来るな」
「えっ、するんですか?」
「嫌か?」
「嫌、ではないですけど……。蒼也さん、その一回がしつこいんですもん」
「なんだ、不満か?」
「いえ、全然」
深夜のお仕事明けだというのに、そういうことをする体力が残っているのが純粋にすごいと思うと同時に、私も私で別に不満でもないのだから、大概だなぁと思う。お互いに。
「してもいいですけど、その代わり、今日はいっぱいちゅーしてください」
そう言ったら、蒼也さんは「代わりになるのか?」と疑問を浮かべながらも、ほんのすこしビールの味がするキスをしてくれた。
(どうぞ余すことなく召し上がれ / 20220314)