夜毎彼に抱かれる夢を見る。口付けを交わし、舌が肌を撫で、優しい眼差しはわたしだけを見つめている。触れる手の温度はあたたかくて、しあわせがわたしの心を満たしてくれる。夜が永遠なら良いのに。「、こちらを見て」。頬に触れるシャイロックの長い髪が擽ったい。手を伸ばした先の、ほのかに汗ばむ肌に触れる。特別な紋章が刻まれた、シャイロックが「選ばれた」証であるそれをそうっと撫でる。シャイロックは微笑みそこに一瞬目を向けて、すぐにわたしの手首を掴みシーツに縫い付けた。「いけない子。悪戯は感心しませんよ」。やわらかな唇、やさしい声、あたたかなてのひら。わたしはわたしをこんなにも満たしてくれるひとを、他に知らない。
永遠が終わっていく。この世は心の底から望むものほど手に入らないように出来ている。

人が多い場所は苦手だ。騒がしいところも、騒がしい人も。すぐに疲れてしまう。それでも外に出なければならないときは多々ある。食料が底を付きた。食べなくても生命活動は維持出来るけれど、食に興味がないわけではないし、美味しいものが食べたいという気持ちもある。魔法を使えば人間を脅して手に入れることもは容易いけれど、そういうのは性分ではない。それにもしそんなことをして、それがシャイロックに知られたら、きっと嫌われてしまう。シャイロックは荒事は好きではないから。愛してくれなくても良いけれど、嫌われたくない。

「おや、ではありませんか」
「シャイロック! こんにちは。久しぶりね。前に会ったのは確か……二ヶ月くらい前だったわね。蚤の市で、綺麗なグラスを見ていたでしょう? そういえばあれは結局お店に置いているの? あのグラスとても綺麗だったわ。シャイロックの作るお酒ときっと相性が良いから、あれでお酒を出して貰ったお客さんはとっても喜ぶと思うの。あ、勿論シャイロックのお酒も。ところで今日はどうしてここのマーケットに? お買い物?」
「こんにちは。グラスは店で出していますよ。の言う通り好評です。今日は買い物ですが、も?」
「うん。もう食材がなくってね。お料理はあまり好きではないのだけど、ある程度は自分で出来たほうがいいじゃない? 美味しいものは好きだし。美味しいものと言えば、今日はお店は開ける? 開けるなら行ってもいいかしら。シャイロックがお酒の肴に作ってくれるトマトのカプレーゼが大好きなの。あのちょっと酸っぱめのやつ。今晩もそれを注文してもいい? それとも今日はお店は開けないかしら」

シャイロックは「今晩は開けるつもりですよ」と穏やかに笑った。それから真っ赤に熟れたトマトを両の手にして、どちらが良いか訊くからわたしはシャイロックの左手を指した。わたしたちは約束をしない。だからもし今晩シャイロックの店が開いていなかったとしてもわたしは怒らないし、シャイロックもそれを気に病むことはない。
わたしは思ったことを口に出さないと気が済まない性質で、よくお喋りだと言われる。独り言も多く、以前どうしてもと頼まれて断り切れず一時期だけ一緒に暮らしていた、弟子の魔法使いにも「様、独り言が多いですよねぇ」と言われたことがある。
わたしが学者という職に就いたのはシャイロックに「あなたは好奇心が旺盛ですし、そのお喋りも役立つのでは?」と言われたからだ。学者といっても便宜上そう言っているだけで、専門的に何かを研究しているわけではない。興味が向けばそれが研究対象だった。
好奇心が旺盛、と言ったときシャイロックはきっと他の誰かを思い浮かべていた気がするけれど、こんなに素敵な人なんだもの。素敵な人に好い人がいないわけがない。わたしはシャイロックの人生を支配したいわけではないし、恋人になりたいと考えているわけでもない。ただ、嫌われたくないだけ。

シャイロックの店は予定通り開いていた。そっと扉を開けば、開店したばかりなのかもう閉店なのか、客足は疎だった。今日は客足の良くない日もかも、と思ったけれどシャイロックの店はとっても人気だからそれはありえない。

「いらっしゃいませ、
「こんばんは、シャイロック。お店は開けたばかり? それともそろそろおわりなのかしら。だとしたらわたしは来るのが遅かったわ。シャイロックとお喋りする時間を自ら失ってしまうなんて。今日は客足が良くない日かもって思ったのだけど、シャイロックのお店はみんな大好きだから、あっ勿論わたしも、そんなわけないわよね」
「実はそろそろ閉めようかと思っていたのですが、が来る気がしてもうすこし開けておくことにしたんですよ」
「あら、そうなの? ふふっ、それは嬉しいわ! ここの開店時間が延びると嬉しいのはわたしだけじゃないはずよ。ここにいるお客さん皆きっと喜んでいるわ。シャイロックは人を喜ばせるのがとっても上手だもの!」
は私を喜ばせるのがお上手ですね」

そう言ったシャイロックが呪文を囁くと、目の前に淡いピンク色のカクテルが置かれた。わたしがここに来たときにいつも注文するカクテルだ。西のルージュベリーが入っていて、鮮やかな赤色が目を惹く。甘めの酒が好きなわたしのためにシャイロックはいつもシャイロックのシュガーを入れてくれる。

「あぁ、そうでした。こちらもどうぞ」

昼間にわたしが選んだであろうトマトを使ったカプレーゼがカクテルの隣に置かれた。シャイロックは「セットです」と微笑んだ。わたしはそれにお礼を言って口付ける。甘いカクテルも、酸っぱめのトマトのカプレーゼも美味しくて、シャイロックとお喋り出来るこの時間は、人生のなかでもとても大切な時間だった。シャイロックが「選ばれて」から、シャイロックはお店をあまり開けなくなったから、この時間も以前よりは減ってしまったのだけど。

、こちらを見て」

カプレーゼを飲み込んでから顔を上げれば、シャイロックの手がわたしの髪に触れる。シャイロックの作るものはどれも美味しいから、わたしはいつもすぐに食べてしまう。カプレーゼは最後の一切れだった。
「あなたは本当に食べているときは静かですねぇ」とシャイロックは喉を鳴らして笑う。シャイロックの指先が僅かに耳に触れて、それから、「インヴィーベル」と慈しむような声が鼓膜を撫でる。ほんの一瞬感じた重みに驚いて肩を揺らせば、シャイロックはまた笑った。シャイロックの手が離れていく。それを名残惜しく思いながらも、自身の手で髪に触れば、先程の重さの正体がそこにはあった。

「先日蚤の市で見つけたんです。に似合うと思って」

差し出された手鏡の中には、紫陽花のような、朝焼けを閉じ込めたような色のバレッタで飾られたわたしが映っていた。

「これ、わたしに?」
「はい。よくお似合いです」
「嬉しい……。すごく嬉しいわ! とても綺麗な色ね。なんて言う色なのかしら。こういうときわたしはまだまだ自分は未熟者だと心底思うの。ねぇ、シャイロックは何色だと思う? わたしは朝焼けに近い色だと思うのだけど、でもパープルが強いわよね。紫陽花もこんな感じの色だけれど、もっと他に……あぁ、そうだわ、ムルの髪色が近いかもしれないわ。それにオレンジ色とか、イエローかしら、そういうのを混ぜた感じの……、どうしよう、嬉しくてあまり頭が回らないの!」
「残念ながら私も色の名前は存じませんが、そうですねぇ……を笑顔に出来る色、と言っておきましょうか」
「ふふ、シャイロックったら! 本当に人を喜ばせるのが上手ね! 今度ここに来たとき、きっと何か今日のお礼を持ってくるわ。約束はできないけれど……、ごめんなさい。でも今日のこと忘れないと思うわ、わたし。だってこんなに嬉しいんだもの。本当よ。本当に、心底嬉しくてたまらないの。今にも心臓が飛び出そうなくらい早鐘を打ってる」
「喜んで頂けて何よりです。さて、。お喋りはこのへんにして、そろそろ閉店です」
「そう……。そうよね。朝が近くなってきたもの。寂しいわ。あっ、違うの。シャイロックを困らせたくて言ったわけではなくて、その、わたし、シャイロックとお喋りするのがとても楽しくて大好きだから……」

シャイロックは「ええ、私もとのお喋りは好きですよ」と言いながら空いたグラスや皿を魔法で片付けていく。それに他の客たちも閉店だと気付き、暫くすると店内はわたしとシャイロックの二人だけになった。さっきまでの活気が嘘のように静謐が場を支配する。わたしも帰らないと。また明日、と約束が出来ないのはいつもすこしだけ寂しい。

「おやすみなさい、。良い夢を」
「おやすみなさい、シャイロック。あなたも良い夢を」

夜は永遠じゃない。求めた永遠など手に入らないまま、わたしたちは長い時間を生きている。

(なにいろだったら触ってくれる? / 20220625)
title by alkalism