彼女に近付いたのは彼女の父親が取締役を勤める会社の情報が欲しかったからで、そのためならどんな甘い言葉も優しい仕草も、嘘も、何も苦ではなかった。花が好きな女だったから、出会った記念にだとか、偶然花屋で君に似合いのものがあったからとか、花に限った話ではないが何度か贈り物をした。彼女はその度に、心底嬉しそうに笑って礼を言うものだから、俺なんかに目を付けられて可哀想にと思う。思ったところで、自身のやり方や思考を変えようという気にはならないのだけれど。
女性というのは不思議なもので、優しくして自分の弱さをほんのすこし見せて言葉を紡げば、大抵俺の欲しいものを喋ってくれる。聞いてもいないことまで喋る女もいる。彼女はどちらかといえば聞かれたことにだけ答える子だった。「父の会社のことは、あまり知らないんですけど……」と、髪を耳に掛けながら話す彼女の、その耳にそっと触れてまず身につけているピアスを褒める。よく似合ってる。誰かからの贈り物かい? そうだとしたら妬けるなぁ。僕も今度君に贈っても? いつも楽しい夜を過ごさせて貰っているお礼。頬を赤く染めて目を逸らした彼女を見て、彼女の言葉に言葉を返す。
「君はお父様と普段どんな話をするんだい?」
ああ、勿論話したくないなら無理にとは言わないよ。彼女を気遣う言葉も忘れない。一度目を伏せた彼女の瞼に乗った煌びやかなそれは、薄暗いバーでも目立つようにするためだろう。ぱち、と瞬きをした彼女が「会社のことはあまり……あ、先日スティーブンさんに頂いた花を見て、センスが良いって褒めていました」と笑う。カクテルはまだ二杯。時間に余裕もある。
「それはどうも。お父様は変な虫が付いたって怒っていなかった?」
「変な虫だなんて、そんなこと……」
「僕が君のお父様ならこんなに可愛い娘、過保護になってしまうよ」
「ふふ、本当にお上手なんだから」
酒のせいか言葉のせいか、体温が上がり頬がほんのりと赤くなる彼女の腰にそっと腕を回す。最上階の部屋、取ってあるんだ。この後の予定は? 彼女の好むカクテルのように甘く囁けば、彼女はそうっと目を伏せてから、最後の一口を飲み干した。特には……、何も。ふるりと彼女の睫毛が持ち上がる。オーケイ、カクテルのお代わりはいる? 彼女はゆるりとした動作で首を横に振った。
脱がせるための服だな、とつくづく思う。額にキスをしてから軽いキスを唇に落とす。頬にかかる髪を耳に掛けて首筋にもキスをひとつ。背中のファスナーを下ろせば、彼女を飾るドレスは肩紐がずれてそのまま足元へ落ちる。ベッドに誘うのは簡単。君が愛おしいのだと言わんばかりに惜しみなくキスを繰り返す。寒くないかい。ここでも彼女を気遣う言葉は忘れない。経験があまりないのか、そういう風を装っているのか、まだ強張った彼女の身体を溶かすように、すこしずつ。平気だと口角を上げる彼女をシーツの海に繋ぎ止めれば、白百合が目に入る。右胸の付近、普段は洋服で隠れるであろう位置に、自分とは正反対の位置に、咲いた白。彼女の本来の肌の色とは違う雰囲気のその白に目を落とせば、彼女が「百合の花言葉を、知ってますか」と。自分の下で、真っ白な海に黒い髪を散らす彼女を見たとき、本心から、誰よりも白百合の似合う女だと思った。
「純潔」
花にはそれほど詳しくなかったが、知識としていくつか蓄えはあった。知識の引き出しから一つの単語を取り出せば、彼女は「何でも知ってるんですね」と言いながら、僕の首に腕を回した。浅瀬から浮いた彼女の背中に手を回せばパチンと軽快な音の後、繊細なレースが施されたそれがするりと落ちていく。
「痛くなかったのかい」
丁重に白百合に触れれば、彼女は一瞬肩を震わせた。彼女の桜貝が開く。
「痛かった。でも、生きるって、そういうことだと思うんです」
顔が近付く。桜貝が触れて、ほんのすこしだけそれが開いた、瞬間。幾度となく向けられてきた銃口が額に充てがわれる音。
「……、あなたの欲しいものは、手に入りません」
「それは、君は何も喋らないということ? それとも口無しになるのは俺のほうってことかい?」
ああ、もう一つ選択肢を忘れてた。君には話せることがないのかな。彼女の片眉がピクリと上がる。
彼女の父親と彼女の血が繋がっていないことは知っていた。彼女の“お父様”が彼女に会社のことを話さないのは、そういうことだ。彼女はあの会社の正式な後継ぎではない、妾の子。
「全部」
銃声。天井に空いた穴が見えているであろう彼女の瞳が、一層大きく開かれる。非力で特別なものなど何も持っていない彼女の手首を、白い海に縫い付ける。パキン、氷の音。銃も、彼女の手も、もう動かない。今すぐ彼女をどうこうしなくとも、いずれ時はくる。最後に、海に溺れる白百合にキスをひとつ。
「君との時間は存外悪くなかったよ」
(拝啓、白百合のきみへ / 20220110)