魔都、ヨコハマで警察が機能しているかと問われれば否と返答するだろう。足元に転がる肉塊と化したソレを見ながら思う。チリンと闇に溶けて聞こえた音に顔を上げれば、塀の上からこちらを見下ろす黄金と目が合い、けれどそれはまたすぐに夜闇に消えていった。首輪をしていたところを見るに、どこかの家で飼われているのだろう。小さく「にゃぁ」と口にしてもそれに応えるものはもういない。
切れかけの街灯に照らされた足元の赤黒い液体はとうに私の靴を汚し、思いの外時間が過ぎていることに気が付く。左側から車のエンジン音。音から察するに黒塗りのハイヤーだろう。煙草の匂いがするが、風向きを考えるに吸っているのは恐らく運転席だ。扉の開いた音は此方側──路地の入口に近かったから、車を降りたのは後部座席に座っていた人間。足音は小さいが確かに此方に近付いている。
「今晩は」
「……殺したのか」
「どっちなら嬉しい?」
物言わぬ人形と化したソレを一瞥した男は、何処かへ電話をかけると一言二言で通話を切った。それから数分も経たないうちに“如何にも”な黒服の男たちがソレを運んでいったから、そういえばこの男はそういう仕事をしているのだった、と脳内の差程重要ではない情報を収めている資料が引っ掛かる。
「行くぞ」
綺麗さっぱり何も無くなった地面を見ていれば、そう声をかけられる。「送ってくれるの」と訊いたが、特に返事はなかった。元々口数の少ない男だ。無言は肯定だろう。
運転席の男は煙草を消すと此方を見てから後写鏡越しに「手前の女か」と芥川くんに問うた。彼は「否」と。友人です──。思わず芥川くんを見遣れば、その黒は真っ直ぐに前を見ていた。友人。成る程確かに、近くはないが遠くもない表現だと、思う。知人という枠に収めるには私たちは互いを知っているからだ。知っているから、彼はアレを処理してくれたのだろう。
車が動き出す。先程鏡越しに目が合った際、男に会釈だけしたがそれに対する反応は特になかった。車独特の匂いと煙草の香りが混ざり合う。窓を開けながら走ってくれているのは気遣いだろうか。
深夜の街は閑散としているかと思われたが繁華街の方はまだ活気があるらしく明るい。こういう仕事の人たちは皆気性が荒く、それが運転にも反映されるものと思っていたけれど、どうやら違うらしい。開け放たれた窓の外から聞こえる僅かな音。一定の速度で走る車に揺られているのはどこか揺籠のようだった。瞼が落ちそう。
繁華街を抜けて暫く、芥川くんは「ここで」と一言。車が停まる。自身で扉を開くより先に、外から開けられる。「どうぞ、お嬢さん」と人好きのする笑みを浮かべ乍ら運転席の男。それに礼を返し乍ら紳士的な人だと思ったが、恐らく拘りが強い性質なのだろう。私も愛好家であったなら、自分の車を他人に、それも何処の馬の骨とも知れない奴に汚されたくない。男は「その血、さっさと落としたほうが良いと思うぞ」と小声で告げると、芥川くんと幾許か言葉を交わした後再び車に乗り込んだ。遠ざかっていくそれを見送り乍ら隣に立つ芥川くんを横目に見る。
「貴女があの路地に入って行くところを見た」
ぽつりと溢しながら芥川くんは私の家へ向かっていく。そういえば、最後に芥川くんと言葉を交わしたのは父のアトリエの片付けを手伝って貰ったときだったから、随分と久しぶりに会う。
「そう。若しかして、心配してくれた?」
枯れ葉を踏み締める音だけが響く。少ない街灯は殆どが切れかけていて、もう直この辺りは黒に覆われるだろう。横を歩く男のように。
殺してないよ。夜闇に溶かすようにそう呟けば、一瞬視線を感じたが目を合わせることはしなかった。芥川くんは「そうか」と一言。
犯罪に手を染めることに抵抗がないと云ったら嘘になる。美しい者たちに手をかけるときは最初こそ興奮すれど、物言わなくなったその瞬間に急激に熱が冷めていくこともある。取り返しのつかないことをしてきたししている自覚も確かにある。けれどいつまでも己の欲望に蓋を出来ずなけなしの理性はいとも簡単に崩れていく。そう、例えば今だって。隣を歩く男に手を掛け、その頸を絞め、美しさを永遠に自分だけのものにしたい。欲望は止まることを知らずぐつぐつと醜い感情となって私を支配していく。
「……明日、また会えるか」
あと数粁先に家が見える。お茶を飲んで行くかと訊いたけれど、芥川くんは首を横に振った。「貴方が来るなら店を開けるわ」、自分より少し高い位置にあるそれと今度は視線が合う。その瞳が僅かに細められた気がしたけれど、滅多に表情の変わらない男だ。きっと気のせいだろう。
醜悪で澱んだ感情がその一言で顔を引っ込めるのだから、矢張り芥川くんは恐ろしく美しい生き物である、と闇に消えていく後ろ姿を見送り乍ら思う。
ソノカラジゴク