「もうちょっといい加減にしなさいよ」
「んーあともうちょい…」

まるで彼の母親か何かになったみたいだ、なんて思いながらテレビ画面に夢中の彼に向かって態とらしく溜息を吐いた。
ひとつやふたつどころではなく歳の離れた彼は突然野良猫の様にふらりと現われては特になにをするでもなくこうしてゲームだけをしてまたふらりと帰っていく。
かれこれ半年ほどはこんな関係が続いていると思う。

仕事の飲み会帰りに駅前で変な男に絡まれていたところを助けてくれた彼が、わたしを助けるときに小さな掠り傷を作ってしまったので、拒否する彼を無理矢理家に連れ帰って手当てをしたのが始まりだった気がする。
今にして思えば未成年の男の子を無理矢理連れ帰るだなんて訴えられてもおかしくないのに、お酒の力というのは恐ろしいものだ。


それ以降、何故か彼、万里はこうして学校が終わるとそのままふらりとこの家に立ち寄るようになったのだ。



太陽が沈み、やけに明るい満月が空を支配しはじめた頃、ようやく万里がテレビ画面から顔を離してこちらへ目を向けた。

「あーっ、どうしてもここのボスだけ殺せねーんだよなあ…。なあ、さん今日泊まってっていいよな、明日土曜だし仕事休みだろ」
「はあ!?ダメに決まってんでしょ。子供は家に帰りなさい」
「どーせいま劇団の寮に入ってっから、親も気にしねーって」
「もしなんかあったらわたしが誘拐とかで捕まるんだからだめです」

彼の方を振り向きもせずにそう言うと、彼が後ろで舌打ちするのが耳に届いた。
というか仮にも女性の部屋に来ておいてそのまま泊まっていこうとするとは何事か。最近の若い子ってみんなこうなのかしら、と彼と同じ年くらいの自分の弟のことも心配になった。


「ほら、万里もう帰んな。車出してあげるから」
「まじあともうちょいで殺せそうな気がすんだよなー…ちょい待ち」

徐に制服のポケットからスマホを取り出して操作したかと思えば、そのまま耳に当てる。電話だ。


何コールか小さく聞こえた後、すぐに女性の声が薄ら漏れ聞こえてきた。


「あー監督ちゃん?俺。今日泊って帰るから寮には戻らねーわ。んじゃそゆことで」

たったそれだけの会話で電話を切ってしまった。家主の意向を全く無視して我が家へのお泊まりを決めてしまった万里に、わたしはまた態とらしく溜息を吐いてみせた。


「監督ちゃんの許可も得たしこれで問題ねーっしょ」
「…監督?お母さんじゃなくて?ていうかいまの許可っていうの?」
「劇団の監督。反対されてねーし許可だろ」

よし、と両手を高く上げてぐっと伸びをしながら万里が言う。

「わたしの都合とか聞かないわけ?もしかしたら明日彼氏が来るかもしれないでしょ」
「生憎、さんに彼氏がいねーってことは把握済みだから問題ねーだろ」

万里の言葉にグッと押し黙ると、それに気をよくしたのか彼が財布片手にソファから立ち上がった。


「てことで今日は俺泊まってくから、さんモールまで車出して。泊まり道具買いにいくわ」
「えー…」
「ついでに飯外で食う?さんの手料理もいーけど」
「じゃあ納豆ね」
「パス」

軽口を叩きながらいつの間にか彼に腕を引っ張られて玄関へと向かっていた。ちゃっかり車のキーも万里の手の中だ。




辿り着いた近所のショッピングモールで、万里が泊まるために必要なものを次から次へと購入していく。きっと今度からもいつでも泊まれるように置いて帰るつもりなんだろうと思うけれど、全て持って帰らせようと心に決めた。


「もう終わり?」
「あと洗顔とかハミガキで終わりだな」
「じゃああっちにドラッグストアがあった気が…」
「よし、んじゃさくっと行って飯食って帰るかー」


万里が必要なものを買い揃えている間、わたしもメイク道具を新調しようかと思い化粧品コーナーへ足を進めた。
カラフルなリップやアイシャドウが所狭しと陳列してあって、目移りしてしまう。どうしても仕事に使うとなると無難なブラウンばかりに目が留まるけれど、本当はもっと違う色にもチャレンジしてみたい気持ちはある。

そんな中で一際目を惹いたのが、たくさんのメーカーからこれまたたくさんの色が発売されているマニキュアだ。夏に向けて、これからもっとたくさんの色が増えていくんだろうと思う。同じピンクでも数えきれないほどの種類がある。

そういえば学校を卒業して社会人になってからというもの、こういった細かい部分のお洒落にまで気を配ることもなくなったな、なんて思いながらたくさんのマニキュアが並んだコーナーを見ていると、突然隣から「お、この色いんじゃね?」と聞き覚えのある声が耳に届いた。


「び、っくりした…なに、万里もう必要なもの揃ったの?」
「ヨユーっしょ。つーかさんがこんなん塗ってるとこ見た事ねーけど、欲しいの?」
「んー…久しぶりに塗ってみたいなーって気もするんだけど。色が多すぎて決められない」
「なる。んじゃこれにしようぜ」

彼が手に取ったのは夏にぴったりの明るいオレンジ色のマニキュアだった。

「可愛いんだけど、濃い色って自分で塗って失敗したら目立つんだよね」
「へえ。じゃあ俺が塗ってやるよ」
「…確かに万里ってこういうの器用に熟しそうだよね」
「まーな」

得意気に彼が言う。
そのまま、そのオレンジを籠の中に放り込んで、「会計するからちょい待ってて」とレジの方へと消えて行った。




ご飯を済ませて家に帰り着いたのはもう随分と遅い時間になってからだった。
買い物袋を漁る万里が、「ほら」と放り投げたものを反射的に受け取って、ようやくそういえばマニキュアの存在を思い出した。

「あ、忘れてた。ごめんお金払うね」
「いーっていーってそんくらい。つーか今日泊まってくし宿代ってことで」
「や、宿代…」



「それにさんが爪の先まで俺の選んだ色で染まるってことだろ」

指先からはじめて