「環くん、元気でね」

 切符の買い方なんて知らなかった。教えてくれる親という存在も、遠く楽しい場所への「お出かけ」も、ちょっと周りの連中と違う環境で育っている俺には馴染みがなかった。その日は「施設でお世話になったお姉さんとさよならする日」で、本当は施設の人間のお見送りは必要なくて、昨日施設でやった「お別れ会」が最後のはずだったけど、俺が大人たちにわがままを言って、出発の日の駅までついてきた。ほかの奴らも来たがっていたけど、環だけずりーって言ってたけど、俺が一番その「おねーさん」のこと好きだって思ってたし、他の奴になんか譲らなかった。俺一人じゃ心配だからってついてきてくれた園長と「おねーさん」が、ぺこぺこしたり、笑ったり、ちょっと泣きそうにしたりして、挨拶済ませて、そんで、俺のほうを見て言った。元気でね、って。

「なあ、すっげーとおいとこいくんだろ」
「うん。すっげーとおい」
「けど、ひこうきにはのんねーもんな。ちきゅうのうらがわとかじゃねーもんな」
「そうだね。電車だもんね」
「またあえる?一生あえねーわけじゃない?」
「そうだね、園長に定期的にお手紙する約束したし!」
「おれにもかいて。てがみ」
「いいよー!あ、でも環くん、お返事書いてくれるのかなー?」
「かく!おれ、かんじもかけるようになるし!」
「お!じゃあ期待してる!漢字いっぱいの環くんのお手紙!…や、うそうそ。ひらがなで。なんでも嬉しいよ」
「…かんじでかく!おれちょーはやく大人になって、そんで、かんじもかくし、あいにいく!」
「ふふ、電車で?」
「でんしゃよりちょーはやく!大人になる!」
「うん、そっかあ、待ってるよ」

 目を細めて笑うその顔が、子供の言うこと本気にしてない顔だろって疑うことができる頭いい子どもなんかじゃなかった。俺は「ぜったいだかんな」と繰り返した。言い聞かせるように。自分に誓うように。やがて時間がやってきて、大きなカバンを持ったその人が、改札の向こうに通っていく。俺は園長に促されて、「ばいばい」する。改札っていう分かりやすい境界線の向こうが、俺には未知の世界に思えた。向こうに行くには切符が必要。そんでその切符を俺は買えない。俺は向こうには行けない。なのにあの人は改札の向こうに消えていく。電車に乗ってどっか遠くに。電車があの人を連れていく。背中が見えなくなる直前に、もう一度だけ振り返ってくれた。俺はあの改札を飛び越えるか下に潜るかしてどうにか通り抜けてやりたかったけど、園長が俺の手を握っていたので行けやしなかった。でもたぶん俺も園長の手をぎゅっと握っていたと思う。泣きそうになるのを、そうしないと我慢できそうになかった。ばいばいしな、って言われたから片方の手をぶんぶん振った。



 それから律儀にも定期的に手紙は施設に届いたし、元気かどうかの報告はたまにあった。住所も手紙に載っていた。仕事は順調かどうかとかの報告と、あと、園のみんなは元気ですかって。そんで最後のほうにちょっとだけ、環くんは元気ですかとも書いてあった。俺にも書いてって言ったけど、園長への手紙と一緒にまとめるとかちょっとずりー。けど仕方ない。俺が小学生になって中学生になって高校生になるときもおめでとうって言ってくれた。そんで最近は、テレビ見ましたとか、すごいねとかかっこいいねとか、書いてあったらしい。園に顔見せに行ったとき、手紙の内容教えてくれた。俺はテレビに映る自分を理に見つけてほしいと思ってたけど、あの人にも見つけてもらえた。遠くの町で、俺のことを見てくれてる。遠いとこ。でも、電車に乗れば会える場所。電車に乗らなくても、テレビをつければ会える場所に俺は立つことができた。――なら、もうこんな距離ぜんぜん遠くなんかない。

 切符の買い方は教えてもらったし。住所は園長にしっかり確認したし。一応ファンの子対策に変装はしたけど、たぶん、見つけてくれるはず。俺も、あの人のことちゃんと、見つけるし。たまに写真付きで手紙くれたから、顔ちゃんとわかるし。あ、でも何歳になったんだろーな。わかんね。

「俺超早く大人になったんじゃね」

 独り言呟いて、俺はちゃんと教えてもらった通りに切符のボタンを押す。こんな紙一枚で通り抜けられたんだな、改札の向こう側。電車はあの人を連れてったけど、俺をあの人の元にも連れてってくれる。会ったら何話すかな。早く会いたいな。あんたに会いたくて、はやく大人になったんだぞって言ってやろ。電車よりはやく、ずっとずっとはやく、走って会いにいけたらいいのにな。



あいにいくよ、あとすこし。