過ちの続き
※流産、非道徳的な表現があります。


かごめかごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やる。
長い階段の踊り場で、黒い人間たちが私を囲む。階段は神社に繋がっている。
夜明けの晩に鶴と亀が滑った。
歌が聞こえる。私を囲む人間たちが笑っている。本坪鈴を、誰かが鳴らした。神様は私たちを見ていない。黒い手がこちらへ向かってくる。
後ろの正面だあれ?

「残念だけれど……お腹の子は……」



明るくなった視界に、一度目を閉じた。「はぁ……」厭な汗をかいている。子供が、私のお腹の中にいた子供が、死んだ。夢の中では未だ生きていた。寝台に腰掛けていた中也が此方を見る。私を見て「起きたか」と笑った。

「中也……」
「どうした? 顔色悪ぃぞ」
「中也、どうしよう、どうしよう、わたしっ、」
「落ち着け。何だ? 怖い夢でも見たのか?」
「こどもが、死んじゃって、わたしが、」

私が殺したの。そう云おうとしたけれど中也が「子供?」と心底不思議そうな顔で云うから、私は開きかけた口を閉じた。

「何云ってんだ。子供なんて居ないだろ」

最初から、と中也は呟いた。それから「それよりほら、今日の分」と私に薬を差し出した。其れを素直に受け取って飲み込んだ私に、中也は頷いて、そっと私の瞼に触れた。「もう少し寝てろ」、柔らかな日の光を浴びたような、そんな声だった。
薄れていく意識の中で、中也の言葉が脳内を占める。違う、あれは中也の嘘だ。子供は確かに私のお腹の中に居た。中也は私の妊娠を喜んだ。だけどあの日私は……、あの日って、何時。そうだ、子供なんて居ない。最初から。そういえば、私、何時から此の薬を飲んでいるんだっけ。


***


ぱちん、何かが切られた音で目が覚めた。長椅子から顔だけを向けて中也を見れば、中也は卓の上に並べた花の茎を切っていた。

「中也、花なんて興味あったの」

中也は一度振り返り、「起きたのか」と花へ顔を戻した。「姐さんに貰った」そう云うと、また、ぱちん、と切る音が響く。ぱちん、ぱちん。何の花だろう。紫色の、良い香りがする花。見たことがあったけれど、思い出せない。

「腹、大きくなってきたな」

中也が此方を見ずに云う。私は「……うん」と一言。お腹の中に居るのは、中也との子供。何時の日かの、過ち。あの日汚れた絨毯は、真っ新なものになっていた。

「明日、外に行くか」

花を活けるのを終えた中也が云う。私は驚いて、素っ頓狂な声を上げながら躰を起こした。私を外に出したがらない中也が、外に行くか、と云ったのだ。

「いいの……?」
「俺も一緒だからな」
「うん、判ってる。でも急に如何して?」
「あー……、ずっと家の中にいんのは、にも、腹の子にも良くねぇって聞いた」

罰の悪そうな中也に「其れ、もっと早く聞いて欲しかったな」なんて冗談交じりに云う。外に出られる。嬉しい。

久し振りの外は晴れていて、外出日和だった。
「絶対に離れんなよ」と繋がれた手を見て頷いて、中也と色んな店を見て回った。中也は私に服やら靴やらを見繕うのだと張り切っていた。家の中に居るときもそうだった。中也はよく私に贈答品を持って帰って来た。外に出したがらないくせに、着飾る物は沢山購ってくる。私が何度要らないと云っても、中也は其れを止めなかった。


「悪ぃ。仕事の電話だ」

少し休憩するか、と入った喫茶店で、注文した珈琲と西洋菓子が運ばれてきたところだった。中也は端末を掲げて店の外へ出て行く。私は自分の頼んだ西洋菓子を口に運ぶ。美味しい。私は浮かれていたのだ。久し振りの外で、美味しいものを食べて、浮かれすぎていた。中也が、ポートマフィアの人間であることを、忘れていた。

「中原中也の女っていうのはお前か」

先刻まで中也が座っていた席に、突然現れた其の男は「一緒に来て貰うぞ」と私の腕を掴んだ。叫び声をあげようとしたら、黒服の男は銃を取り出した。私の腰に其れを、ぐっと押し付ける。他の客からは恐らく死角になっている。平日であまり人の居ない店内、中也は未だ戻って来ない。掴まれた腕がギシギシと音を立てる。引き摺られる様に店の外へ出た私は、一瞬の隙をついて、男から腕を剥がした。店の近くに居ると思っていた中也は居ない。「おいっ」男の怒鳴り声を背に、私は走る。はやく、はやく逃げないと。中也、何処に行ったの。走って、走って、追いかけてくる男から逃げる。男の声が聞こえなくなって、逃げ切れたかなと振り返った瞬間だった。足を滑らせた。階段があることに気付かなかった。躰が、宙に浮く感覚。落ちる、お腹には、子供が居る。

私は其の日、命が爆ぜる音を聞いたのだ。



目を覚ますと知らない天井が目に入った。薬品の匂いがする。「っ」と焦った顔で私を呼ぶ中也の額には、汗が浮かんでいる。ずっと手を握っていてくれたのだろうか。先生を呼んでくるからと出て行った中也は数分で戻ってきた。中也が「首領」と呼んだ人が、どうやら先生らしい。私は未だぼうっとする頭で、先生を見る。先生は「目が覚めたんだね」と寝台脇の椅子に腰掛けた。

「何処か痛むところは?」
「……特には」
「自分の名前と出身地、家族の名前は云える?」

先生の質問に、一つ一つ答えていく。後ろに控えた中也の顔は、ずっと不安そうだ。幾つか先生の質問に答えれば先生は「うん」と頷いた。問答は終わりらしい。

「頭を強く打っていたんだけどね、脳に問題はないみたいだ。幸い傷跡も残らないよ」

穏やかに笑う先生に、私は「子供は……」と訊いていた。先生は其れ迄笑っていたのに、眉を下げて、言い難そうに口を開いた。「残念だけれど……お腹の子は……」、新しい命は、私が殺してしまったのだ。同時に、あのときの事が、脳内を駆け巡る。掴まれた腕、突き付けられた銃、私が終わらせた命。私が、外に出たから。「あああああっっっ」泣き叫ぶ私の背を、中也が撫でる。幼子を落ち着かせる様に優しく。先生は何時の間にか居なくなっていた。

、大丈夫だ。大丈夫だから」
「わたしっ、わたし、赤ちゃんを、っ」
「落ち着け。ゆっくり深呼吸しろ……そう、もう一度」

云われた通りに深呼吸を繰り返すと、少しずつ落ち着いてきた。それから中也は「此れ、飲め」と私に薬を差し出す。「何の薬?」と訊けば中也は「只の安定剤だ」と薬の瓶を小さく振った。私は其れを一粒飲み込んだ。中也が私の瞼をそっと撫でる。「もう少し寝たほうがいい」、其の言葉を最後に、私の記憶は曖昧に為った。


***


目を覚ますと、朝と同じく寝台に腰掛けた中也が、私の髪を梳いていた。其れが心地好くて開いた眼を閉じれば中也が「もう昼過ぎだぞ」と云う。昼過ぎだというのに、部屋の中は薄暗くて私は「今日、雨?」と中也に訊いた。中也は手を止めて、私をそっと抱き起こした。「……なぁ、」雨の音なんて聞こえない。薄暗いのはカーテンを閉め切っているからだ。私は自分の過ちに気が付いていた。もうずっと前から。中也が私を抱き締める。何時だって一番安全で安心なのは、此の腕の中だと私は知ってしまった。

「何処にも行かないでくれ」

懇願するかのような声。私を抱き締める中也の手は震えていた。中也越しに見える花瓶。何時か中也が貰い物だと云って活けていた花は、寝室に飾られることになった。私が一日の大半を此処で過ごしているから。花は枯れていた。ああ、思い出した。あの花は、薫衣草だ。


償い
(リクエスト企画 / 「過ち」の続き)