※殺人、死体描写


 芥川は電球がもうすぐ切れそうなことに気付いた。この部屋はこの電球一つだけで照らされていて、薄暗く気味が悪かった。天井まである本棚には、芥川の知っているタイトルもあったけれど、見聞きしたことがないもののほうが多かった。それだけで自分の世界がどれだけ狭いものなのか思い知らされる。本に囲まれたはそれまで読んでいた本を閉じて、後ろの棚に片づけた。

「貴方ってお人形みたいね」
「人形?」

 人形。意思を持たない無機物で、持ち主によって飾り付けられるそれと自身の、何が同じと云うのだろうか。は棚から何冊か分厚い本を持ってきて、それを芥川に差し出した。『美しいドールの世界』だとか『人形大全集』だとか書かれていた。芥川は人形に興味が無いし、この先必要な知識とも思わない。その本は受け取らず、近くの本を抜き出した。

「とても綺麗な顔をしている」
「……僕が?」
「ええ。その本、購う?」
「……いらぬ」
「貴方、いつもそうね。私が差し出した本は見ないし、自分で選んだものも購おうとしない。購ったのは此処に初めて来たときだけね」
「……」
「何の本が欲しいの? 売るかどうかは別として、出してあげるわ」
「……僕は……」
「うん」
「……否、何でもない。忘れろ。……今日は帰る」
「そう。また明日」

 此処は古書店だとは云っていた。しかし、客が欲しい本を売るか否かはの気分次第で、どんな本でも手に入れる為、を懐柔する必要があった。その為に何度も此処の扉を開けた。
 芥川の任務は、から必要な本を購うことだった。扉を開ける回数が両手で足りるうちに、この任務は終了した。終了はしたが、此処は静かで居心地が良くて、つい足を運んでしまう。そしては人の話を聞くことに長けていた。その人が欲している言葉が自然と出てくるし、本心を聞き出すのも上手かった。芥川はそんなと話をするのが、いつからか楽しいと思うようになってしまった。と長く居すぎたのだ。と、明日の約束をしてしまうことなど、当初の予定には無かったのだ。それほどまでにの対話の技術は、恐ろしいものだった。



「僕を認めぬ人がいる」と口を開いたのも、芥川には想定外のことだった。そんなこと、云う心算は、全く無かったのだ。芥川の口は閉じることを忘れたかのように話を続けた。「師に認められたい」「僕を置いて組織を抜けた」「今、彼の人の隣には、僕ではない人間がいる」は芥川の話を、ただ聞いていた。は全てを話し終えた芥川を見て「こんなに饒舌な貴方は初めて見た」と微笑んでいた。

「貴方は、その人の隣にいるその子が憎いの?」
「……然り」
「殺してしまえばいい」

 芥川は目を見開く。今まで接してきて、がそういった考えに至ることに驚いたのだ。との今までの会話や、雰囲気からして、の口から発するにはあまりにもそれは似合わなかった。

「その子が、邪魔なんでしょう」

 真っ黒の瞳がこちらを見る。それは既に決まっているかのように、云った。は本棚から別の本を取り出して、めくり始める。それが何の本であるか見極めるのは難しかった。本から顔を上げたが「違うの?」こてん、と首をかしげる。芥川は思わず頷く。は繰り返した。

「じゃあ、殺してしまえばいい」



 次の晩、芥川は死体を見た。それは男のもので、腕が身体から完全に切り離されていた。男の周りは血の海で、鉄の臭いが鼻についた。芥川は、その男を何処かで見たことがあった。それが何処であるか判らなかったし、何かと物騒な街故に、特に気に留めなかった。それからの古書店に出向いた。古書店は日が沈んでからも開いてることが多く、今日も変わらず扉を開くはずだった。扉には鍵が掛かっていて、開かなかったのだ。鍵が掛かっているということは、今日はもう閉店か、が不在かのどちらかだった。こじ開けて中に入る程に用事があるわけでもなく、芥川は踵を返した。

「あら、帰るの?」

 芥川の前に、丁度今帰ったであろうが現れた。小柄な躰には似合わず、大きな荷物を抱えている。芥川はそれが何であるか、知っているような気がした。は芥川を見つめる。この辺りは民家も店も少なく、人気もない。街灯も少なく、街は黒く覆われる。いつも静かだけれど、今日は特に静かで、月だけが輝いていた。

「用があったんでしょう? 今開けるわ」

 じゃら、といくつかの鍵が合わさって不協和音を奏でる。の手に、ほんの少しだけ何かがこびりついているのを芥川は目にした。鍵を開けようとしているの手を咄嗟に掴む。「どうしたの?」鍵が、じゃらり、と鳴った。

「……貴女は、人を殺めたことがあるか」

 は掴まれた手をそっと剥がし、芥川を見た。月だけに照らされた芥川の顔を、は美しいと思った。「入って」扉が開く。


「荷物を置いてくるから此処で待っていて」と芥川はいつもの本棚だけの部屋とは別の部屋に通された。暫くしては紅茶と茶菓子を持って来てから、芥川の隣に腰かけた。芥川はこの部屋を見るのは初めてだった。壁には着物を着た市松人形から洋服を着た外国製のアンティークドールまで、様々な人形が飾られていた。芥川は人形のひとつと目が合った気がして、すぐに逸らした。は「飲まないの?」と紅茶を勧めたが、芥川は口にしなかった。はそれを咎めることはなく、茶菓子を口にした。
 そう云えば、と芥川は思い出す。あの男の死体から腕が切り離されていた。しかし腕は、近くに落ちていなかった。まるで腕だけが目当てで殺されたかのようだ。そしてあの男は、似ていたのだ。先日が差し出してきた人形の本。その表紙に写った人形に。

「ねえ、芥川くん」

 が立ち上がって、人形の飾られた棚へ足を進める。棚の一角には人形ではなく何冊か本があった。そのうちのひとつを手に取り、再び芥川の隣へ腰かける。が持ってきたものは『世界の人形大全集』と書かれたものだった。はあるページから、一枚の写真を取り出す。

「貴方は人を殺したことがある?」

 そこには大人の女が一人と、男が一人、それから子供が写っている。それは家族がよく撮る、所謂家族写真と云うもので、三人とも美しかった。芥川は写真の子供と隣のを見比べる。は何も云わず、ただ微笑んでいた。初めてに会ったときも、はそうやって微笑んでいた。「此処にお客さんが来るなんて珍しいわね。お名前は?」あのときのの声が、頭に響く。

「私は、取り返しのつかないことをしてきたわ」

 芥川は、に名前を教えたことがない。