「私が運転しても良かったのに」

夜の横浜を駆ける車内で、トスティの祈りをBGMに太宰がぽつりと溢した。私は黄色に変わった信号を見て、ブレーキを踏みながら「未だ死にたくない」と返す。交差点を渡る人たちは皆疲れた顔をしていて、そこに希望を見ている人なんていなかった。「安吾にも同じことを云われた」太宰はBGMの音量を少しだけ上げた。その言葉が私に向けられたものではない気がして、私は何も返さなかった。だって私はその「安吾」が誰なのか、知らない。それから太宰も何も云わず、窓の外を眺めていた。






「私はマフィアを抜けるよ」

そう云った太宰の手を引いて車に乗せたのは私だった。太宰が私のことをどう思っているかは知らないが、私は太宰のことを友人と認識している。幹部という肩書を持つ太宰のほうが立場は上だし、同じ歳とは思えない頭脳も持っている。そんな太宰と私の共通点は数える程しかなく、それは歳が同じことと、マフィアに入ったのも同時期だということ。マフィアに入ったのは、孤児で親も学も無い私は、そうやって生きるしかないからだった。太宰にいつか如何してマフィアに入ったか聞いたことがあった。太宰は「此処に居れば生きる理由が見つかると思った」と私に話してくれた。

「マフィアを、抜けるよ」底知れない闇を抱えた瞳を見て、今、ここで、何か行動しないと一生後悔するような気がした。






「そう云えば、何処に行くんだい」

外に目を向けたままの太宰に私は「海」とだけ返した。道中で閉店間際の花屋に寄って、小さな花束を拵えて貰った。太宰は「贈り物?」「誰に?」「私が選んだ方がセンスのあるものになるんじゃない?」と五月蠅かったが、私はそれらに「うるさい」と返してお会計を済ませ店を出る。花束は後部座席へ置いた。それからまた少し車を走らせる。目的の場所へ着いて、適当な処に車を停めた。「私と入水する気になった?」「莫迦云わないで」軽口を叩きながら車を降りる。私は後部座席に置いた小さな、瑠璃唐草の花束を持って、太宰と砂浜を歩く。夜の海は人気が無く、少し肌寒かった。小さく肩を震わせた私に気づいた太宰が自身の外套をかけてくれた。それに小さくお礼を云う。波が足にかかり始めた頃、私たちはどちらからともなく歩くのを止めた。

「マフィアを抜けて、何処へ行くの」

太宰が私と一度目を合わせてから、顔を背けた。

「……人助けの出来る処、かな」
「そう」
「止めないのかい」
「止めない。私、太宰のこと大切な友人だと思ってるの。だから、貴方が自分で決めたのなら、止めたりしない」

黒い波が此方に向かってきては引き返す。波の音だけが私たちを包む。そうして暫くして、太宰が「私は」と口を開いた。

「私は、ちゃんのことを、友人だと思ったことはなかった」

私は海に目を向けたまま「そんな気がしてた」と返した。他に、何て云えばいいのかわからなかった。

「でも、大切で、死んでほしくないと、思うほどには、君と居るのは楽しかった」

思わず太宰を見る。太宰は海を見たまま、私と目が合うことは無かった。私は何て云っていいのかわからなくて、何を云えば正解なのかわからなくて、何を云っても駄目な気がして、でも何か云わなければいけない気もして「……どうしてマフィアを抜けるの」多分、正解ではないことを云った。

「友人に云われたんだ。此処に居ても生きる理由は見つからない。人を救う側になれ、と」
「……、……良い友人に、出会えたのね」
「あぁ。私には勿体ないくらい、素敵な友人だ」
「友人は大切にするべきよ」
「あぁ。勿論。ねぇ、ちゃん」

太宰が私を見る。その瞳の中に、今迄に見たことのない何かが宿っているような気がして、途端にこわくなって、肩にかけられた外套を握る。太宰は、変わろうとしている。友人の言葉ひとつで、マフィアを抜け、人を救い、私の知っている太宰では無くなってしまう。そういう、予感がしている。本当はマフィアを抜けて欲しくないし、変わって欲しくない。私は変化をすんなりと受け入れられるほど大人じゃない。いつだって変わってしまうことがこわい。それは太宰も同じ。そう思っていたのに、それが、今、音もなく崩れていく。

ちゃん、君は、私を赦してくれるかい」

本当はマフィアを抜けて欲しくないし、変わって欲しくない。でも、太宰は私の大切な友人だから。

「赦すよ」

何を赦すかなんてわかっちゃいない。太宰が今迄犯してきた罪なのか、マフィアを裏切ることなのか、私を、置いて行ってしまうことなのか。そのどれもが正解で、どれもが違う気がする。でも、太宰は私の大切な友人だから、大切な人には幸せになって、欲しいから。

「私は赦すよ」

そう云って持っていた花束を手離す。花束は放物線を描いて、夜の底を漂う。花束が見えなくなった頃、太宰が「いいのかい」と私に聞いた。

「本当は、餞別として贈ろうと思った。でも、貴方にはもう、必要ないみたいだから」
「瑠璃唐草……花言葉は確か、どこでも成功、だったかな」
「うん。今の太宰なら、花が無くたって、大丈夫よ」

一瞬強く吹いた風が、私の肩に掛かっていた外套を攫った。宙に浮いた外套に手を伸ばして、届かなくて、外套は夜の海へと消えた。太宰が伸ばした手を取って、私を抱き締める。あんなに冷酷だ何だと云われていたのに、太宰には確かに体温があって、生きているのだと実感する。私たちは、生きている。生きる意味を、理由を、探しながら。

「ごめん、外套」

太宰は私を抱き締めたまま何も云わない。太宰の腕に力が入って、一層強く抱き締められて、私は、太宰が泣いていることに気づく。私たちは十八歳の子供で、でも大人のフリをして生きている。そうしなければ生きていけないから。でも、太宰の前ではそんな必要なかった。子供のように何でも言い合って、一緒に遊んで、笑う。若しかしたら、太宰は私の前でも大人のフリをしていたのかもしれない。私は、太宰が泣いているのを見たのは、これが初めてだった。私はそっと太宰の背中に手を回して、まるで恋人たちがするみたいに、互いを抱き締めた。私は太宰の幸せを、祈っている。


soccorrere
(仮令太宰自身がそれを望んでいなくとも。)